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鼠、猫を噛むより速くの続きです。
ドンドンドン。今日も過酷なトレーニングを終え、ようやく訪れた自由時間に自室でゴロゴロとしていると誰かにドアを叩かれた。無視して雑誌のページを捲るが無駄に大きなその音は止む気配がない。余りのうるささとしつこさに同室の樺地が腰を上げたが、俺はそれを静止してまた手元の雑誌に視線を落とす。ドンドンドン。イライライラ。ドンドンドン。イライライラ。ドンドンドドドン。
「っあーーもう!!お前ええ加減にしんしゃい!!あとさりげなく学校のリズムで叩くんやなか!」
ついに我慢しきれず開けた扉の向こうでは、既に見慣れてしまった大男が嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。
「やっと開けてくれたばい」
「お前がしつこすぎるからじゃろうが!…一応聞くが、何しに来たんじゃ」
「遊びにきたとよ!」
「悪いが俺は今忙しいんじゃ」
じゃあなと扉を閉めようとすればこの大男、千歳千里はわずかな隙間にガッと足をねじ込みドアをこじ開けようとする。
「え〜、どうせ雑誌でも読んどるだけとや?だったらせめて中に入れてくれんね?」
「っこの、離しんしゃい…!」
お前は押し売りのセールスマンかと聞きたくなる手法と強引さで部屋へ入ろうとする千歳としばらく押して引いてのせめぎ合いが続いたが、次第にドアがギギギと不穏な音を立て軋み始めたので先に手を離したのは俺だった。ここで宿舎の設備を壊して実家に請求がいっても困るし、何よりこいつみたいなでくのぼうと力勝負なんてそもそも無理な話だったのだ。
「わー!ほんに二人で四人部屋使っとうと?広々としてよかね〜!!」
そんなこんなの競り合いの末、部屋に入った千歳は足を踏み入れるや否や妙な感嘆の声をあげた。
「これで俺も仁王王国の仲間入りばいた〜」
ほくほくとした顔でベッドにダイブし「樺地くんよろしく」等と脳天気なことを言っている。おい掛け布団の上に寝るな、ぺしゃんこになってしまうじゃないかと思ったが、しかしそれより先に言うべきことがあった。
「残念じゃが、仁王王国には180センチ以上の関西人は入れん規則じゃ」
「えっ!?な、なしてよ!?」
「何でもなにも、そういう規則じゃ。ここでのキングは俺じゃからの」
「樺地くんは180オーバーしちょるばい!」
千歳は床に座って折り紙をしている樺地を指して言う。(ちなみに今は妹にあげる為に、イチゴやリンゴなどを折っているらしい)
「樺地は関東人じゃけええんじゃ」
「俺も実は熊本人ばい!」
「でも今は関西人じゃろ」
そもそも熊本も関東と関西とに二分すれば関西だと思うのだが。さっき四天宝寺のコールでドアを叩いていたではないかと指摘すれば「ええ〜」とだだをこね子供のようにごろごろと布団の上で転がる。まず二メートル近い大男がそんなことをしても全く可愛くないし、何よりそこは俺のベッドだ。
「とりあえず布団が皺になるけぇやめんしゃい!」
手近にあった枕でボリューム満点の頭を叩いてやれば、千歳はもぞもぞと起き上がる。
「え〜!俺んこつ入れたほうが絶対よかよー!考えてもみなっせ、樺地くんは跡部の声真似せんと動かんばってん、俺なら仁王ん地声ですぐ動けるとや?」
「…まぁ、それはそうかもしれんが」
半ば屁理屈のような言い分だが、いざ本物の跡部が来たらそちらを優先するだろうと言われるとまぁ一理あるかもしれない。
「やろやろ?そういうこつで、俺も今日から仁王王国の仲間入りばーい!」
今度こそよろしくと呑気に樺地に声をかける姿に俺は調子にのるなとたしなめる。
「おい!お前わかっとるんか。これからは俺の言う事なんでも聞くってことじゃぞ、忙しいとかそういう言い訳は一切認めんからな」
思い知らせるようにベッドに横たわる巨体の上に腰かけ約束事を告げれば、尻の下から「よかよか!」と快活に笑う声が聞こえた。
そうして出来た二人目の国民であったが(俺は王なので除外だ)、これが予想以上にいい働きをした。
「千歳ぇ、背中痛い」
「ん?マッサージしちゃるけん、見せてみなっせ」
暑いと言えば涼しい場所まで背負って連れていってくれるし、食堂に美味そうな肉料理があると知れば現物を確保した上で教えてくれる。基本的に俺が所属する立海大附属では、多少のサボリはごまかすことはできても甘えが通用する場所ではないので、ツーカーの仲ではないが千歳と名前を呼べばそれだけで俺の意図を汲みとって先に行動してくれる存在はなかなかに有りがたかった。(千歳におぶわれて移動しているところを真田に見つかり、自分で歩かんかと怒鳴られたこともあるがそこは走って真田をまいてくれたあたり話がわかるやつでもある)
こうして千歳の存在は、いつの間にか俺の日常にすっかり馴染むようになった。
「…おらん」
トレーニングを終え、食堂に飯を食べに行こうとしてもいつまでたっても千歳の姿が見えない。あいつに限って無いとは思うが、もしやと思って先に食堂へ出向いてもそこにあの頭ひとつ突き抜けた姿はなく、とりあえず席がなくならないようにテーブルの端の向かい合った二席を陣取ることにした。本来ならここで千歳など見ないふりして他の誰かと一緒に食べても良かったのだが、親しい者で言えば最近柳生は専らあの年下の外国人を気にかけそれも英語で話をしていたし、丸井は氷帝の芥川にここぞとばかりにべったりとまとわりつかれている。(そして本人も満更そうでもない)
幸村は同室の面々と気が合うらしく、俺としてもわけのわからない植物名を聞かされながら飯をとりたくはないし、真田に至っては食べ方から食器の配置まで口を出してくるので論外だ。夕飯時で人がごったがえす大きな食堂の中、その他の面々を探すほどの労力は残っていなかったので、とりあえず先に食べて探しに行こうかと注文したカレーにスプーンを入れる。もう一段階辛さを増してもよかったな、などと考え咀嚼していると、目の前の椅子が引かれる。そこ取っとるんじゃけど、と制止しようと顔を上げれば、目に入ったのは意外な顔だった。
「ここ、空いとる?」
「…空いとらん」
たとえ空いとってもおまんは嫌じゃ。そう目をそらして答えると、目の前のそいつ、四天宝寺の部長である白石蔵ノ介はわざとらしい声をあげた。
「えぇ〜、なんでなん?俺らの仲やん、そないつれへんこと言わんとってやー」
「どんな仲じゃ」
「ん〜…イリュージョンして、された仲?」
完璧の名に恥じない顔で笑いかけるこいつは本当に、見た目こそ驚くほど整っているが実はいい性格をしていると思う。
「…なんじゃ、いい加減根に持つんやめんしゃい。それにこっちだってお前と手塚が使いもんにならんかったせいで負けたんじゃ、いい迷惑ぜよ」
「嫌やなぁ、根になんて持っとらへんて。それに俺はともかく、手塚クンにイリュージョンして勝たれへんかったんは流石に完成度の問題ちゃう?まぁ過ぎたことはええやんか。それよりせっかくやし、ここで一緒に飯食って親睦を深めへん?」
そう疑問形で問いかけたにもかかわらず、すでに勝手に向かいに腰をおろし微笑んでいるのは何故なのだろうか。拒否権がないのなら最初から聞かなければいいのに、これだから関西人のノリはわからない。俺は疲労と諦めがまじったため息をついた。
「へえ〜、二オくんはカレーが好きなん?かわええなあ」
「うっさいのう、その呼び方やめんしゃい」
それにそういう白石だって頼んでいるのはオムライスだ。更にはケチャップで「絶頂」と書いているのにはもう知らないふりをしておく。
「せやせや、この間は追っかけ回して悪かったなぁ。皆ついテンション上がってもうて…金ちゃんのこと、おおきにな」
この間、というのは俺が四天宝寺のルーキーの擦り傷の手当をしてやったことだ。(手当と言っても一声かけてやっただけだが)
「別にそげな大したことはしとらん。それよりおまん、確か幸村と一緒の部屋じゃったな。…なんちゅうか、無事か?」
「はは、無事てなんなん。不二クンと幸村クンとは普段できひん植物の話とかいっぱいできるしな、めっちゃ楽しいで」
「ほうか、ならええわ」
自分の学校ならまだしも、生活中に他校生の五感まで奪うとなっては同じ学校の身としていたたまれない。
話を聞くに、幸村も誰と揉めるわけでもなく楽しそうにやってるらしいのでよしとしておこう。ごろごろとした人参をスプーンで適当に潰していると、今度は白石から話をふられる。
「で、そっちこそどうなん?なんやよう知らんけど、最近うちの千歳が世話になってるみたいやんか」
大量にかかったケチャップで皿を汚すこともなく、流れるような仕草で綺麗にオムライスを片付けていく。
「あいつほんま、俺でも手に負えへんところあるからなぁ。二オくんには感謝しとるわ」
「あ〜、まったくじゃ。どうせあの放浪癖と変な甘えぐせに手ぇ焼いとるんじゃろ」
現に今もこうして姿を見せないし、何かにつけて俺の部屋に来るのもきっと自分の部屋に居づらいからなのだろうと思っていた。(何せ千歳の部屋は、データマン部屋と呼ばれるほどに各校の頭脳選手たちばかりが集っているのだ)しかし俺のそんな言い分を聞いて、白石はどこか困ったように笑う。
「んー…まぁ前者は確かにそうやねんけどな。後者はむしろそうやったらよかったんちゃうかな、って思うわ」
「は…?」
「いやいや、こっちの話や。何にせよほんま、仁王くんには感謝しとんねん。おおきにな」
その意味深な言葉と表情にどういうことだと聞こうとすれば、白石は空になった皿とコップを持ち立ち上がる。
「げ、おまんもう食い終わったんか」
俺より後に食べ始めたはずなのに。
「せやで。だらだら食うんは胃にも悪いし、何より何事も無駄なくが俺のポリシーやからなぁ。ほなまた後で」
二オくん、と手を振り飄々と去っていく背を見送りながら、本当に食えないやつだと俺は潰した人参を口に運ぶ。いつまでも口に残る妙に甘ったるいその味に、やはりもっと辛いのを選べばよかったと思った。
「…ったく。あいつはほんまにどこ行ったんじゃ」
白石と別れてから自分も早々に食事を終え、先程から姿が見えない千歳を探しに来たはいいが、一向に見つからない。あの目立つ体格でここまで見当たらないということは、どこか部屋の中にでもいるのだろうか?しかしあいつが出向きそうな部屋など数は知れている。戻って適当に回ってみるかと廊下を歩いていると、ちょうどその角から探していたもじゃもじゃ頭が顔を出した。
「あっ!千歳、お前勝手にどこ行っとったんじゃ!」
「ん?おお!いやぁすまんばいねぇ。ほんまはもうちょっと早う帰れるち思っとったばってん、思いの外時間かかってしもた」
探したんだぞと駆け寄れば千歳は眉を下げて笑う。
「何じゃ、どこ行っとったんじゃ?」
今千歳が出てきたのは生徒たちの自室がある方ではない。こちらには主にコーチ達が仕事で使う部屋が集まっているはずだが、誰かに運動能力を量るモニターでも頼まれたのだろうか。首をかしげていると千歳は困ったように頭をかいた。
「うーん…ほんまはこげなこつあんま言いたくなかばってん、約束破ったんは俺だけんしょんなかね…」
周りに人気がないことを確認すると、千歳は実は…と俺の耳に唇を寄せた。
「医務室?」
「うん。俺昔に右眼ケガしよってな、いっちょん見えんちわけじゃなかけん、またちょっとずつ視力ば下がってきちょるとよ」
それに左目ばかりに頼っていると、そちらにも負担がかかってしまう。だからせっかくなので高位の医療機器とドクターが揃っているここで、一度具合を看てもらおうと思ったらしい。
「いつテニス出来んくなるかわからんばってん、なるべく長くラケットば握りたかけんねぇ」
千歳は、そんな自分の境遇を悔やんだり恨んだりする様子など何一つ見せず、とても穏やかに笑った。そう言えば、全国の時に聞いたことがある。かつて九州二翼と呼ばれた千歳は、その片割れであり親友でもある橘の打球を右眼に受け一度テニスから離れたことがあると。その過去と今の千歳の表情を重ね合わせると、何だかふいに先程の白石が言っていた意味が少しだけわかったような気がした。
きっと千歳は、一人では重すぎるその全てを体に融かしてしまっているのだ。だから誰も一緒に抱えることができないし、分かり合うこともできない。何よりそれは千歳の本意ではないのだろう。そして涙を流さず泣くことを覚えてしまった千歳の涙を、誰もぬぐうことはできない。きっとそれも全て、千歳が望んだことなのだ。
「…難義なやつじゃの」 すとんと胸に落ちてきた感情を受け止めて、まず口から出てきたのは陳腐な慰めや根拠もない不確かな励ましより、そんな独り言のような言葉だった。千歳はぼそりと呟かれた俺の言葉に首をかしげる。
「ん?」
「いや、何でもなかよ。それより早う食堂行くぞ」
「え、もう先に食って来たんやなかと?」
カレーのいい匂いがすっばい、とすんすんと鼻を動かす様は野生児のようで思わず笑ってしまう。
「アホか、今日のチョイスは失敗じゃ。おまんに焼肉定食頼ませて、肉だけもらって口直しナリ」
「えっ!なんねそれ、ひどかよー!」
「うっさいのう、それより俺はお前のせいで、歩きまわってくたくたなんじゃ、背負って連れて行きんしゃい」
ほれ、と催促してやれば「しょんなかねー」と笑いながら背中をかがめる。その大きな背中にひっつけた胸に、ジャージ越しにあたたかな体温が伝わってくる。
「…なんか、寝てしまいそうじゃ」
「えー?もうちょっとだけん我慢してよ」
千歳がくすくすと笑う度に感じるわずかな振動に心地良さを感じて、食堂までの廊下をおぶわれて歩く。そう言えば、初めて出会った時もこんなかんじだったな。ただ一つ、心持ちだけがあの時と違う。うつろいゆく意識の中で大きな背に揺られながら、ぴったりと耳を寄せる。同情でも友情でもないけれど俺はただ、こいつと一度テニスをしてみたいと思った。
(20110726)