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仁王くんがちょっとあほです
U-17合宿が始まってからもう幾分の日が経った。しょっぱなからチームメイトに敗北を期し負け組として崖送りにされた俺たちは、血の滲むような特訓を経てようやく元の宿舎に舞い戻ってきたわけだが、こちらでも規格外のトレーニングメニューが言い渡されるのは言うまでもない。そこからさらに本気の模擬試合をこなしてもう今すぐにでも床に就きたいというような満身創痍の状態で、俺は今宿舎の廊下を疾走していた。
「はぁ、っは、ケホッ!あ、あいつら、しつこすぎるぜよ…!」
負け組から新たな二番コートに入ることでリベンジを果たした俺だったが、その帰還をいちばん喜んでくれたのはかつて辛苦を共にした立海メンバーではなく思いもよらない奴らだった。
「ニオくーん!どこやー!」
「ニオーニオー!一緒に風呂行こ〜!」
背後から大声とともにバタバタと忙しないいくつもの足音が聞こえる。異常な脚力を備えている奴らから逃げ切るのは難しいと思うが、つかまったら終わりだという焦燥から最後の力を振り絞り無心に足を動かす。自分の部屋へ帰るルートは先ほど間違って通過してしまったので使えない。さして仲良くもない奴らの部屋が立ち並ぶ廊下のコーナーを曲がった先に飛び込んできたのは無情にも行き止まりだった。
(お、終わった…!!)
L字の道を走ってきたため今から引き返せば確実に奴らに鉢合わせしてしまう。これはもう諦めるしかないかと俺は目を閉じいよいよ腹をくくった。
「二オみっけー!!…って、あれ?」
「金ちゃんおった〜?」
「た…大変やケンヤ!二オーが消えてもうた!!」
「はぁ?ってほんまやおらん!!」
「なんね、どぎゃんしたと?」
「あっ千歳!!なあなあ二オ見んかった?」
「二オ?」
「立海の仁王や!」
奴らの姿は見えないが、自分について話すやりとりが聞こえる。俺は壁一枚隔てたところで息をひそめていた。
「仁王?見ちょらんったいねぇ」
「さよかー…ほんま、イリュージョンみたいに消えてもうたなぁ!」
そこから風呂に行くだの行かないだの、少しばかり言葉を交わすとまた音を立て離れていく足音が聞こえて思わず安堵の息が零れる。
「…もう出てきてもよかよ?」
扉がゆっくり閉じられると同時に、褐色の大男が現れる。俺は先程突然開いたこの部屋に引っ張りこまれて、開いた扉の後ろに立つ形で姿を隠していた。
「…ありがとさん」
「いえいえ」
憎々しげな表情を隠すこともなく礼を言えば、目の前のそいつは気にすることもなく目を細めた。
「入れてくれて助かったけど、なんで俺を助けたんじゃ」
お前四天宝寺のやつじゃろ?と聞けば頭上の瞳が少しだけ輝く。
「あ、俺んこつ知っとうと?」
「まぁ、そんだけデカかったらな。イヤでも目に入るじゃろ」
ニコニコと嬉しそうに笑うその顔には見覚えがあった。確か元九州二翼のひとりで、無我の奥にある三つの扉の一つである才気煥発の使い手。名は何といったか。
「ええと、確か…」
「千歳。千歳千里ばい!」
喉まで出かかったそれを口にする前に、妙に弾んだ声で先回りされてしまった。
「ああそうそう、ちとせとか言ったな」
「俺もあんたんこつ知っとうと!あんた、立海大の仁王っちゃろ?」
「まぁそうじゃけど…」
俺は自分のプレイスタイルからして他校の人間に名前が知られているのは珍しいことではないしそれは全く構わないのだが、先程からこいつのテンションがやけに高い気がするのは気のせいだろうか?そんな訝しげな俺の視線をどう受け取ったのか、千歳は思いついたように手のひらを叩いた。
「ああ、何で俺がお前さんを助けたか、っち話やったね。謙也たちに風呂行こうっち誘われて、用意取りに戻って来たら外で走りまわる音聞こえたけん、何ねと思ってドアば開けたら、真ん前に仁王がおったとよ」
そのデカイ体の後ろに覗くベッドの上には、確かに用意していたのだろう寝間着やスポンジなどの入浴セットが散らばっていた。
「ふうん…そんで助けてくれたんか」
「なんか悲壮な顔しとったけんね。で、俺からも質問っちゃけど、なしてあげに追いかけられとったと?」
金ちゃんだけじゃなく白石までおったとよ、と、それは四天宝寺のやつからしたらけっこうな事態なのだろう。その瞳には同じだけの好奇と心配が滲んでいた。
「別に大したことじゃないぜよ。お前んとこのルーキーの掠り傷治してやっただけじゃ」
それは遡ること数日前。便所に行こうと宿舎を歩いていたら、廊下にしゃがむ小さい背中を見つけた。とりあえずそこを通らないことには便所へ行けないので、どうしたのかと声をかけたらどうやらこけて膝をすりむいたらしく「舐めといたら治るってオサムちゃんが言ってた!」とわけのわからないことを言いながら自分の膝を舐めようとしていたので、とりあえずそれはばっちいからやめんしゃいとたしなめ、俺も早く用を足したかったので目線を合わせてしゃがみこみちちんぷりぷりと唱えてやった。するとすぐに目を輝かせ、鼓膜に悪いボリュームでおおきにと告げるとすごい速さでどこかへ駆けて行った。
それは俺からすると一日も経てば忘れてしまうような出来事だったのだが、どうやら今になってそのルーキーを通じて同じ学校の高学年にまで伝わったらしい。それから変な仲間意識を持たれてしまったらしく(ついでに「二オ」なんてあだ名まで付けられた。そこまで言うなら仁王と呼べと思う)『うちの子がお世話になって!!』と言わんばかりの勢いで追いかけ回されている、というわけだ。
「まったく、お前らんとこは身内意識が強すぎじゃ」
俺なんて負け組から帰って来て何より早く言われた言葉は「おかえり」でも「待っていた」でもなく「何だ、帰ってきたんだ」だったというのに。(ちなみに言ったのは幸村だ)
「はは、それはすまんかったばい。みんな悪気はなかばってん、校風ち思って許してくれんね」
「…ま、ええけどな。とにかく助かった、ありがとさん」
何だか初対面なのに少しばかり話しすぎた気がする。もう外も安全だろうしそろそろ自室に帰ろうかと背を向けると、大きな手に腕を掴まれた。
「…何じゃ?」
「なあなあ、お礼ばしてくれんね?」
「は?礼なら今言ったじゃろうが」
「そうじゃなか。ええと、なんちゅうたらええんかね…」
もう少し、形で。と続いた言葉に思わず眉を顰める。何だこいつ、人畜無害そうな顔をしてなかなかタチが悪いではないか。そういえば、こいつが元いた獅子楽中は荒れた校風だったと聞く。荒くれ者が集う九州地区で二翼なんて通り名をもらうくらいなのだから、考えれば当然かもしれない。
「…何じゃ、金か?言うとくけど、お前みたいな奴に渡す金は持っとらんけの」
ウエイトも身長も、数字にすれば約二十程差があるだろうか。殴り合いになれば勝ち目はないが、それでもひるむ気はないと伝えるように睨み見上げれば目の前の大男はぶんぶんと否定の意を込め手を振った。
「そぎゃん物騒なこつやなか!ええと、俺ん言い方が悪かったけん…えっと、もしちゃかったら、一緒に飯ば食いに行かんね?」
「は?」
「やけん、飯」
勘違いさせたお詫びにおごるけん、どげん?と大きな体で情けなく眉を下げ、首を傾げる姿に思わず毒気が抜かれてしまう。
「…何じゃお前、風呂行くんじゃなかったんか」
「さっき謙也たちに先行っといてち言うといたとよ」
ニコニコと笑いながら言われた言葉に最初から計算済みだったのかと思わないでもないが、全ておごりなら条件としては悪くない。値段の上限設定はなしじゃぞ、と了解を取り付けて俺達は食堂へと向かった。
「…なぁ」
「ん?」
「そんなに見られると食べづらいんじゃけど」
人がまばらな食堂の真ん中を陣取って食事をしていた俺達だが、向かいに座る千歳は早々に食事を終えると(それでも中々の量を食べていた)俺が飯を食べる様子をひたすら微笑ましく見つめている。そろそろ穴があいてしまいそうじゃ、エビフライのしっぽをバリバリと齧りながら言った。
「気にせんでよかよ。仁王は細すぎち思うけん、いっぱい食いなっせ」
俺が気にしているのは財布の中身じゃなくお前の視線だと言ってやりたかったが、しかしそこまで言うならその顔が引きつるくらい食べ散らかしてやろうではないか。変な負けず嫌い根性に火がついたところで千歳が言う。
「にしても、さっきはびっくりしたばい」
「何がじゃ」
「礼してくれんね言うた時、思いっきり睨んできたっちゃろ?」
「…あれは、紛らわしい言い方するほうがわるいんじゃ」
「ばってん、俺こげな図体しとっと?ひどいときはぱっと見だけで怖がられることもあるけん、あげな視線向けられたん久々ばい!」
その嬉しそうな表情に何だこいつドMかと一瞬引いてしまうが、そんな様子に気づくこともなく千歳は嬉々として続ける。
「仁王はなんか格闘技とかやっとっと?」
「んなもんしとらん」
「え、そうなん?俺はてっきりやけん強気なんかち」
「アホ言え、俺がケンカ慣れしとるように見えるか?」
負ける気満々じゃと行儀悪く箸を顔に向けてやれば、千歳は腹を抱えて笑い出した。
「何じゃ、失礼な奴じゃのう」
「ば、ばってん、面白すぎばい!」
ひいひい言いながら、もうそげな無茶しなさんなと告げるその瞳には笑いすぎて涙すら滲んでいる。
「何じゃ、やってみんとわからんぜよ」
キューソネコカミじゃ、と箸を揺らせば千歳は首を傾げた。
「きゅーそ?」
「そういう諺があるんじゃ」
まあ言いやすく短縮してはいるが。
揚げたての唐揚げにかじりつくと千歳はまたケラケラと笑った。
「なるほど。あんた、ほんなこつ面白かねぇ」
その言い方が何だか少し馬鹿にされたようでムッとしたが、変わらず千歳は笑っていた。というか、先程より笑みが濃くなっている気さえする。
「……なんか、お前は好かんのう」
そっぽを向いて「俺はもう行くぜよ」と言ってみたものの、困らせてやりたい一心から自分の食の細さも考えずひたすら食べ続けたせいで、すぐにはそこから動けない。渋々鎮座しているとまた妙に微笑ましい目で見つめられてしまい、最終的にはおぶわれて部屋まで送り届けられるハメになった。自室まで続く長い廊下。自分とは厚みからして違う大きな背に揺られながら不本意じゃ、と呟けば、千歳はまた明日も行かんねと笑った。
(20110525)