ぺちぺちと、頬を軽く叩かれて目が覚めた。
「ぁ…?」
「雅、雅治。ちょっとだけ目ぇ開けんね」
枕元にはすでに服を着こんだ千歳がしゃがんでいた。視界には必然的に股間のドアップが飛び込んできて、これが全裸だったら長い人生の中でもそうそうないトラウマレベルの目覚めになるところだ。目を背けがてら、眠気も相まってごろりと寝返りをうつ。
「んん……何じゃぁ、もう」
昨日はふたりで居間でおっぱじめそのまま床で眠りに落ちてしまったので、性交後の倦怠感に加えて関節部分がギシギシと軋んだ。少しの肌寒さを感じて、毛布を口元までひっぱり上げ背中を丸める。今纏っているパジャマとこれはきっと、千歳が着せてくれたのだろう。
「朝飯買いにコンビニば行ってくるけん、何食いたか?」
そんなもの任せるからいちいち起こすなと言ってやりたかったが、千歳は俺の偏食ぶりを知っている。買ってきてから俺が食べられないということのないように、こういう時はいつも優先して希望を聞いてくれていた。
「んん〜…弁当以外やったらなんでもええよ…パンとかがええなぁ」
顔を半分以上毛布に埋め、くぐもった声が漏れる。
「ん、パンね。了解ばい。あと、寝るならちゃんとベッド行って寝なっせ」
みの虫のように背中を丸めて横になる俺の頭を撫でる。そのまま前髪を上げられ、あらわになった額にちゅっとくちびるが落とされた。
「んじゃ、行ってくっばい」
立ち上がる千歳の気配を感じながら、浅いまどろみの中で、離れても残る少しだけ湿った感触に浸る。ふわふわと、ゆらゆらと、いつまでだって心地よく漂っていたい。しかし額に意識を集中させるほどに、どうにも頭が冴えてきてしまうのだった。薄目を開けて一瞬の逡巡の末、腰も重たくのそのそと起き上がる。

「あれ?寝ちょってよかったのに」
玄関へ着くとちょうど千歳が靴を履いているところで、居間から出てきた俺を見て嬉しそうに笑った。
「一緒に行くと?」
「アホ言え。こんな顔で外出れるか」
見送りじゃ、見送り。ぶっきらぼうなそれを聞いても千歳は変わらず満足げに微笑んでいる。出た声は寝起きでいつもより低く、少し鼻にかかっていた。視界をすっきりさせるために軽く目をこすっていると、千歳が「あれ?」と声を上げる。
「なんじゃ」
「いや、なんか靴ばちっちゃくて入らんと…」
先程から靴べらを使い格闘していた千歳が、足を持ち上げ靴底を確認する。
「あ!雅治のやったばい」
今日もボリュームのある頭を掻いて、締まりなくへらりと笑った。
「もう、お前わざとじゃろ!」
千歳はこうしてたまに、子供みたいなことをして俺をからかう。
「はは、すまんすまん。じゃあ行ってくっけん、ん」
悪ガキのような笑顔で早々に自分の靴へ履き替えると、これみよがしに頬をとんとんと叩く。
「…なによ?」
「何って、見送りしてくれっとやろ?お見送りっちゅーたら…」
訝しげな視線を向ける俺。その顔はどうみても、ヨコシマなことを考えている顔だ。
「もうっ!!しょうもないこと言っとらんで、さっさと行きんしゃい!」
「はは、照れ屋さんばいた〜…おっとっと」
いよいよケツを蹴り出してやろうかと足を上げると、千歳はようやく出ていった。
「ったく…」
思わずため息がこぼれる。朝っぱらから騒々しいのがいなくなり、開け放しにしていったドアを閉めようとすれば下の階段からまた声が聞こえた。
「あ、雅治ー!言い忘れとったけん、一応ちゃんと戸締りしときなっせ〜!」
「もう、そげなんわかっとる!」
鉄階段に響く間延びした声に手荒に答えて扉を閉める。鍵のツマミだって、きちんと横に回した。
「っあー、もう…」
恥ずかしいやつだと、残された玄関でひとり寝ぐせだらけの頭を掻いた。千歳といると本当にいつか牛になってしまいそうだ。
そんな中落とした視線の先、一足の靴が目に入る。先ほど千歳が履いていったのと同じデザインのものだ。しゃがんで靴の底を見れば、土踏まずの当たりに27と印字されている。そして今千歳が履いていったものの底には、28と書かれているはずだ。
「…一センチしか変わらんじゃろうが」
俺の足を小さい小さいという言葉を反芻して、うらみがましい声がもれた。
これらは男どうしの俺たちが、唯一持っているお揃いのものだ。
『外でも使えるもので何がひとつ、揃いのものが欲しい』そう言ったのは千歳だった。自宅のマグや歯ブラシはすでに色違いで統一していたが、外でも使えるとなると何一つ持っていなかったからだ。
そこでふたりで色々考えたのだが、ペアウォッチは千歳に時計をつけるという癖がなかったし、本人の自由奔放な性格上あまり好かないらしいのでボツ。ピアスをしようにも俺はホールを開けていないし、ペアルックは千歳はやりたがったが俺が拒んだ。こうして趣味嗜好が意外と対極にあることがわかった俺たちが、最後に辿り着いたのが靴だった。
ある日のデートでたまたま入った靴屋、いいなと思った靴が一致した時「これだ!」と顔を見合わせたのは、もうだいぶ前のことになる。デザイン的にはどこにでもあるありふれた、ハイカットの迷彩柄のスニーカーだ。
自分の靴を持ち上げるともうだいぶ底もすり減って、全体的にも年季が入ってきているのがわかる。けれど揃いの靴を履いて共に外出する時、俺が未だに少しドキドキしていることを千歳は知らないだろう。
俺の靴を履いてへらりと笑った、あの顔を思い出した。
(…ああ、もう)
誰が見ているわけでもないのに、気を抜けば緩んでしまいそうな頬を引き締め頭を掻いた。なんだかくやしいので、今度あいつのを履いてうんこでも踏んで帰ってきてやろう。
すっくと立ち上がり部屋に戻ると、居間の窓を開けた。朝のやわらかい風が頬を撫でる。サッシへ軽く身を乗り出した。うちから最寄りのコンビニまでは片道十分、もう間もなく、帰ってくる姿が見えるはずだ。
早く、早く、はやく。
2DKのアパートから見上げた空は雲ひとつなく、どこまでも澄み渡っていた。千歳もきっと一日部屋にこもっているにはもったいない日だと言うだろうから、買ってきたごはんを食べて一緒に風呂へ入って身支度をしてそれから、……それから?
「もう、おっそいんじゃ!」
手ぐしで髪を整え玄関へと向かう。先ほど自ら施錠したツマミをもう一度まわし、キーホルダーのついた鍵を指に引っ掛けた。
(あいつの驚いた顔は面白いからの)
迎えに行って思い切り飛びついたら、どんな顔をするだろう。
(驚いて、受け止めて、抱きしめて、そのあとは)
あと数分で見られるその顔を思い浮かべ肩を揺らす。27の靴を履いて家を飛び出した。
これからふたりで、どこまで行こうか。

(20111020)


1000+20、仁王いい(2011)ちとにおの日、おめでとう!!