Information
小石川は家庭の事情で欠席です。うん、きっとそうだ
中学最後の全国大会が終わり、残りの夏休みの短い期間を使ってテニス部レギュラーの面々はなぜか山奥の寺を訪れていた。
「あーーっ疲れた!なんやねん何が慰安旅行やねんあのクソ教師!!」
全員が寝転がってもまだ余裕のあるだだっぴろい部屋に通され、畳に倒れこんだ一氏が声を上げる。
「…まぁせやな。オサムちゃんを信用した俺らがアホやったっちゅー話や…な、謙也?」
「それ俺の口癖やっちゅー話や!」
事の発端は、三日前にくたびれた顧問からレギュラー陣の携帯に届いた『皆で慰安旅行に行くぞ!』というメールだった。もちろん連日の暑さにやられ、更に三年生に至っては一種の燃え尽き症候群でひたすらにボーッとする日々が続いていたので「いきなり何言っとんねんコイツ」と思わないでもなかったが、かかるのは交通費だけで宿泊費も食費も全て顧問持ちだと聞けば悪く無いと思ったのだ。
しかし、今の冷静な頭でならその選択が間違っていたことがわかる。そもそもあの競馬狂いで常にヒイヒイ言っている顧問がそんな余分な金を持っている訳がなかったのだ。朝早くに主要駅で待ち合わせをし、府民の自分たちですら知らないマイナー路線を乗継ぎ乗り継いで更に山道を歩いて辿り着いたのは、自分たちの学校とは比べものにならないほどに年季が入った大きな寺だった。
「あーほんまに、めっちゃ体痛いわ…」
「あら謙也くん、マッサージしてあげましょか〜?」
「俺にやってくれ小春ぅぅ!!」
倒れこんだ一氏がゾンビのごとく這って金色の元へ向かう。謙也は老人のように腰を叩き、他も皆(約一名を除き)疲労困憊といった状態だ。無理もない。昼過ぎに到着してから今までずっと、この広大な寺の清掃要員として駆りだされていたのだ。どうやら顧問の渡邊はここの住職と古い知り合いで、タダで面倒をみる代わりにここの掃除を頼まれたらしい。
「働かざるもの食うべからずや!」などと言ってケラケラ笑った顔に全員で雑巾を投げつけたのはもう数時間前になる。皆で一息つきながら、まず携帯を手にした財前が眉を顰めた。
「ゲ、ここ一応大阪やのに電波ないとか、マジありえんっすわ…」
「光ーっそんなんいじっとらんと森ん中遊びに行こうや!」
「お、じゃあ俺も一緒に散歩行くかねぇ」
「行ってもええけど、あんま遅くなったらあかんで。ただでさえここ木ぃばっかで方向感覚なくすんやから……まぁ、金ちゃんがおれば大丈夫な気もするけど」
野性の嗅覚というか、なんというか。
「まぁ何にせよ財前、ストッパーになったってや」
「めんど…」
「白石、俺はー?」
「お前はトトロでも何でも探しにどこにでも行ってまえ」
「ひどかー!!」
ギャーギャーとやかましい三人を送り出し、ようやく腰を下ろす。
「あ〜疲れた…あれ、お前は行かんでええんか?」
ほっと一息つけば、謙也がくの字になって畳に横になっていた。普段なら金太郎と飛び出して行きそうなのに、珍しいこともあるものだと白石は思う。
「おぉ、俺ずっと廊下の雑巾がけしとったから、もう腰が限界やっちゅー話や…」
そういえば財前に上手いこと乗せられて「雑巾がけもスピードスターや!」とか言いながらひたすらに廊下を疾走していた気がする。
「お前…」
「な、なんやねん」
「……なんでもないわ…」
「なんやねんその目はぁぁ!!」
叫んだのが響いたのか、謙也はアイタタと腰をさする。
「あーあー、じっとしときい」
自分も向かい合ってくの字に横になれば、謙也は大げさに体を強ばらせた。
「えっ、し、白石寝てまうん?」
「だって謙也も寝てるやん。俺暇やし、ちょお昼寝しよかな…朝早よから色々させられて疲れたわ」
「さ、さよか…」
「何やねん謙也、さっきから」
どことなくもじもじしているというか、先程から歯切れのわるい言葉が続く。
「べっ別に何でもあらへんで!」
「変なやつやな…にしても、小春とユウジどこ行ったんや?」
「あー、そういえばさっき小春がトイレ行く言うてユウジもついてったから、アイツらもどっか散歩しとるんちゃう?」
「さよか…」
石田は部屋に戻るやいなや近くにあるという滝に修行に向かったし、ある意味ここへ来て一番有意義な時間を過ごしているのは彼なのではないか。
「ん〜……アカン、ほんまに眠たなってきた…」
「あ、白石ちょお待って」
うとうとと眠りに片足を突っ込んでいると、謙也がおもむろに立ち上がりどこかへ向かう。どこへ行くのだろう。隣に、いてくれたらいいのに。ゆっくりまばたきをすると、目の前に真っ白いものが差し出された。
「まくら。そのまま寝たら、顔に畳の跡ついてまうから」
ちょっと起こすで、と軽く頭を持ち上げられ、下に枕が差し込まれる。
「うわっ、何これ固っ!」
「はは」
自らも取ってきた枕を使って寝転んだ際の声に、思わず笑いが漏れる。確かに昔ながらのソバガラの枕はあまり寝心地がいいものではない。なのにどうしてこんなにふわふわと、あたたかい気持ちになるのだろう。
「…なんかさ、幼稚園の頃のお昼寝ってこんなんやったよなぁ」
「ああ、そういやせやなぁ。タオルケット、めっちゃ気持ちよかったよなぁ」
「なつかしいなぁ…」
まどろみの淵で、昔読んだ絵本をめくるような話をした。やさしい声が、水の波紋のように染み渡っていく。そして夢に身を浸すその瞬間、しらいし、と小さく名前を呼ばれた気がしたのは、気のせいだろうか。
次に目を覚ましたのは、カラスが鳴く時間帯も超えどっぷり日が暮れた頃だった。
「んぅ……んん?」
なんだか騒がしい声で目を覚ましたものの、部屋には誰の姿もなく横で寝ていた謙也もいなくなっていた。
「何や…?」
体を起こし未だに鈍い頭を回転させる。騒ぎ声はどうやらこの部屋に面した庭から聞こえているようだ。様子を見に縁側に出てみると、聞きなれた大声がキーンと耳に響く。
「あーーっ白石、やっと起きたんかぁ!もう今から焼き始めるところやでぇ!」
「え、ちょ、金ちゃん声デカ…っていうかこれ何?」
「何って、バーベキューやバーベキュー!!」
ただでさえ大きい金太郎の声がいつにも増して弾んでいるのはそういうことか。
しかし、肉や野菜がたんまり盛られたテーブルと網を取り囲むレギュラー陣の片隅で、顧問がへばっているのはどういうことなのだろう。早速皿にタレを入れて準備万端な財前が答えた。
「住職さんに教師が楽してばっかやと示しがつかんて言われて、一人で用意やら火おこしやらしとったんすわ」
「…なるほど」
この様子だけ見ると老体に鞭を打ったように感じるが、自分たちの顧問は他校に比べればかなり若いほうだ。逆にニコチンまみれの日頃の運動不足を解消できたことだろう。
「まぁ、因果応報っちゅうやつやな」
「ほんまっすわ。で、遠山が部長起こしに行こうとしても謙也さんが止めはって」
「え?」
「せやから」
「わあーーーっコラアホ財前何いらんこと言うとんねん!!!ええから早よ肉焼くでっちゅー話や!!」
「痛っ!!ちょお引っ張らんといてくださいマジキモいっすわ!」
最後まで言葉を聞くことなく、財前はどこからか現れた必死の形相の謙也に引きずられていく。
「…な、なんなんや…?」
「何がや〜?ほいっ白石のぶん!」
その勢いに呆気に取られていると、金太郎が割り箸と紙皿を手渡してくれる。
「あ、おおきにな金ちゃん」
「へへっ、白石も早よ食べようやー!」
金太郎がステップを踏むようにくるりと回る。その先には金色といちゃつこうとして邪険に扱われる一氏がいて、くだらないことで言い争う謙也と財前がいて、ゼエハアと息をする渡邉の横でのほほんと笑う千歳がいた。いつもと同じ、何が終わっても何一つ、変わらないのだ。
「…よーし、俺の無駄のない肉の焼き方見せたるわ!」
そこからはもう、お祭り騒ぎだ。ひたすら肉ばかり食べようとする面々に野菜もとるように促し、逆に最近こってりしたものが食べられなくなったと言う渡邉に対し金太郎は「オサムちゃん元気出しぃや!」とむりやり肉を口に突っ込んでいた。肉や野菜がなくなれば持ってきた菓子をあぶり、まずいまずいと言いながら笑って食べる。その菓子すらもなくなれば、今度は花火でどんちゃん騒ぎだ。
手持ちはもちろんここなら打ち上げも許可されるらしく、暗闇を昇る光の軌道と、夜空に咲く花はたいそう美しかった。(そして財前に足元にねずみ花火を落とされた謙也はずっと逃げ回っていた)
「こら、腹出しとったらあかんで」
むにゃむにゃと寝息を立てる金太郎の、寝相でめくりあがってしまったタンクトップを直してやる。寝ているのは金太郎だけではない、皆朝からハードスケジュールだったのだ。更に色々遊び疲れたのだろう、風呂から上がると早々に眠ってしまった。例えるならここは深夜の動物園といったところか。ひとり縁側に腰をかけ、眠る皆の顔を見てそんなことを思う。
「…白石、寝られへんの?」
かけられた声、ぎしりと軋む廊下。見あげた先の姿に微笑んで、一人分のスペースを空けた。
「皆、よぉ寝とるなぁ」
「せやなぁ、風呂でもえらい騒いどったし」
「俺、もっと枕投げとかしたかってんけど…」
「お前また財前にええようにされるだけちゃう?」
「なっ…またって失礼やっちゅー話や!」
「ハハ、すまんすまん」
隣に座る親友はぷりぷりと唇を尖らせたと思えば、小さく頬をかいた。
「…そういや、お前と二人で話すんも久しぶりやな」
大部屋に焚かれた昔ながら蚊取り線香と、庭にまだ残る火薬の残り香を感じながらちょうど、同じことを考えていた。
何だかんだ一緒にいるものの、ころころと変わる彼の表情を間近で見るのはとても久しく感じる。
「何、寂しかったん?」
「!あっアアアホ言えや!!」
その動揺具合に「かわええやっちゃ」とからかえば、「言うんやなかった」と顔をそらす。思えばこんなやりとりも久しぶりで、頬をほころばせて空を見上げた。
「…ここ、同じ大阪とは思えんくらいに星が綺麗やなぁ」
「…せやな」
「あ、ほらアレとかめっちゃ光ってるで!まさに謙也にぴったりやん。今のうちに仰山見とかな損やなぁ」
「…せやな。……なぁ、白石」
「ん?」
呼ばれた名前に引っ張られて、謙也の方へ顔を向ける。
「今まで、お疲れさん」
一瞬、言われた言葉の意味がわからなかった。
「…ん?」
満天の星空のもと、ほくほくとした気分で首をかしげる。
「〜〜っせ、せやから!ありがとうお疲れさんっちゅーとんねん!!」
謙也は「もう二度と言わん!!」と勝手に怒り勝手に照れていた。そうして自分はようやく、彼の言わんとすることを理解する。
少しだけ心臓が、喉の奥が震えるのを感じた。
「……っハハ!何言うてん、けんや。…アホちゃう」
礼を言うのは、こっちのほうだ。
(いっつも俺の先を走って、手ぇ引いてくれたんは、お前やんか)
「っ俺は!」
「なぁ謙也。ほんなら一個だけ、お願いきいてもらってええ?」
「…何?」
「お互い一個ずつ、誰にも言ったことない秘密、言い合おうや」
今なら、自分をさらけ出してもいいと思った。
「だってもうこんな機会、めったにないやん」
ここで言ったことは絶対に、ふたりだけの秘密やでと人差し指を口元へあてがえば、謙也は小さく頷く。
「……わかった。ほな、俺から言うわ」
「ん、頼むわ」
「…あんな、こないだ呼び出されて1組の、文化祭でミスコン出てた子に告られた」
「えっ!1組の子って、準優勝してた子やんな!?」
まさかそっち方面の話題が出てくるとは思わなかった。それ以上突っ込むのも怖くて何も言えずにいると、やけにはっきりとした口調で謙也は言った。
「断ったけど」
「…え、何でなん」
口ぶりからして告白されたのは既に全国が終わった頃だろうにと聞けば妙にはぐらかす。
「べ、別に理由なんてあらへんけど、俺はきちんと自分が好きになった人と付き合いたいっちゅー話や!」
「…お前ってホンマ、見た目によらず純やんな…」
「うっうっさいわ!!」
照れ隠しなのかなんなのか、早よお前も言えやと肘でこづかれる。今が昼間ならきっと、赤くなった顔をからかったに違いない。
「…ええで。俺な、準決終わった後、ホテルのトイレで一人で泣いてん」
「えっ嘘やん!いつ?夕飯のあと?」
「ううん、夕飯の前。なんや我慢できんかってなあ、トイレに篭って声漏れへんように音姫めっちゃ連打して、鼻水垂らして泣いた」
「ほんまに?」
「何でこないしょうもない嘘つかなあかんねん」
謙也は何でもっと早よ言わんねんとうなだれたが、鼻水を垂らしてしゃくりあげて泣く姿を見られたいと思う人間がどこにいるだろうか。
それが特別な感情を抱いている相手なら、なおさら。
「…ま、一泊二日あっちゅう間やったけど、予想外の収穫があったわ」
「俺はほんまにびっくりしたけどな…」
「ハハ!俺の演技力もなかなかっちゅうこっちゃ」
ふたりで縁側に並んで、夜空を見上げた。先程謙也のようだと揶揄した星は今も煌々と輝いて、そしてその横ではもうひとつ、小さな星が鈍い輝きを放っていた。
あれが謙也だとしたら、その横の小さな星は自分だ。ふたつの星の間はほんの数ミリ、けれど途方も無い、何万光年の距離。それに比べると自分たちの間にある、人一人分にも満たない距離のなんと些細なことか。
(あの星が流れたら、言おう)
まばゆい輝きが、ふたつの星を結ぶように流れたら、とっておきの秘密を伝えよう。誰にも言ったことのない、いちばんの秘密を。こんな願掛けじみたジンクスを、もう何度繰り返しただろう?
他愛も無い話をしながら、徐々に高鳴る心臓を抑える。時計の針はもう数周めに突入しようとしていた。
「…そろそろ寝な、朝起きられへんなぁ」
「そういやあのオッサン、寝過ごしたら寝過ごしたでもう一泊していくかみたいなこと言うとったで。明後日には学校始まんのに、ほんまどないなっとんねん」
「まぁ、オサムちゃんらしいわな」
くつくつと喉を鳴らし、二人で布団へと向かう。こっそり視線を向けた夜空ではまだあの星が輝いていた。どこか残念なような、安心したような気持ちで微笑んで背中を向ける。
「謙也、おやすみ」
「おやすみ、また明日」
またあした。その響きが舌の上で淡く溶けた。また明日も親友でいられる歓びともどかしさに胸をくすぐられて瞳を閉じる。
その瞬間、夜空を駆けた星を誰も知らない。
(20110825)