咲かせてはいけない花

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片想い白石。左右はお好みで





 雨が降った。部活中にいきなり降り出したバケツをひっくり返すようなそれのせいでやむなく活動は中止になり、皆突然の豪雨に文句を言いながら濡れた体を拭いてそれぞれ家路についたのが約一時間前。
(思ったよりひどくなってきたな)
だんだんと激しさを増す雨足に自主練を切り上げ、もう誰もいなくなった部室に飛び込んだ。まずラケットを拭いてから、濡れた体をタオルで拭う。もちろん晴天なら言うことはないが、雨の日の練習もそれはそれで好きだった。ボールやラケットを握る手が滑らないよう意識のトレーニングにもなるし、視界が悪い中でボールを打てば打つほど集中力が研ぎ澄まされていく気がする。
 とりあえず水を吸って体に張り付くユニフォームを脱ぎ制服のカッターシャツを羽織る。新しいタオルを取り髪の毛の水気を拭っていると、机に置かれたままの部誌が目に入った。そういえば、今日はこの後みんなで何か食べに行こうというレギュラーメンバーの誘いを部誌当番だからと断ったのだった。今頃タコ焼き屋かファミレスで、いつものようにくだらない話で笑い転げているのだろう。部誌を手に取りパラパラとめくりながら目に浮かぶ様子に頬が緩んだ時、あるページで手が止まる。そこには一字一字なるべく丁寧に書こうとする俺とは真逆の、せっかちな性格がそのまま表れたような乱雑な文字が並んでいた。
○月×日、天気は晴れ。担当者名、忍足謙也。きっと今頃みんなタコ焼き屋かファミレスで、くだらない話をしながら笑い転げているのだろう。俺の想い人はその真ん中で、眩しいほどの笑顔を見せていた。
 親友に恋をしている。言葉にしてみるとなんともおかしな響きだが、そう笑い飛ばせたらどれだけよかったか。手元の部誌に書かれた文字をたどたどしくなぞる。今日の内容は、サーブが中心でした。つかれたけど楽しかった。何か一言、こないだこけた時にすりむいたヒザがめっちゃ痛い。文字のハネやはらいは急いで書いたのかところどころかすれているし、中身に至っては小学生の感想かとツッコみたくなるようなつたない内容に思わず笑ってしまう。
(ほんまアホやなぁ、あいつ)
 この後白石も行くやろ?と俺を誘った屈託の無い笑顔が浮かぶ。今は誰の横で笑っているのだろう。頼れるダブルスの相方か、生意気だと言いながらなんだかんだ可愛がっている後輩か、それとも俺がいない面倒を見るためにゴンタクレの横にいるのか。
(…なんで、俺じゃないんやろう)
 ひとりになりたくて断ったはずなのに、そんな調子のよいことを考える自分に嫌気がさす。俺じゃない誰かが謙也の隣にいるのは嫌だ。でも謙也との距離が近づけば近づくほど心はつらくなる。寝ても覚めてもせめぎ合うふたつの感情に挟まれて、もう押しつぶされてしまいそうだった。
「…アホは、俺のほうか」 その滑稽さに自嘲の笑みが漏れる。部誌を抱えたまま自分を守るようにしゃがみこみ、目を閉じて窓を叩く雨の音に身を委ねた。この降り注ぐ大量の雨が、花を咲かせたいと叫ぶ心の根を腐らせてしまえばいいのに。そしたら俺はまた親友として、誰よりも近い場所で笑えるのに。もっと、もっと強くと空へ願えば背後の扉が音を立てて勢い良く開いた。

「いやぁー、すごい雨やなぁ!」
「っ、……け、んや…?」
 参った参ったと傘を閉じ室内に入ってきたのは、紛れもなく今まで頭を占めていたその人だった。
「な、お前どうしたん…?」
「いやな、グリップテープ忘れてもうてなぁ。ほんまはこんな雨の中来たくなかったんやけど、今日逃したらしばらく巻き直す時間とられへんし」
「そ、そうなんや…」
メールでもくれたら届けてやったのに、と言えば謙也は不機嫌そうに眉を寄せた。
「あんなぁ、お前がちゃんと帰ってるか確認しに来たっていうのもあんねんで?んで外から見たらまだ電気ついとるし」
案の定やったわと続け肩をすくめる姿に、なんだかバツが悪くなって顔をそらす。
「…別にええやん」
「よくないわ!髪もまだ濡れてるやん、そんな格好でしゃがみこんどるし…気分でも悪いんか?どっかしんどい?」
 普段身だしなみにはうるさい俺が、ズボンはまだしも上はカッターシャツを羽織っただけというだらしない格好をしていることが気になったらしい。同じ目線になるべくしゃがんで覗き込んでくる心配そうな顔にまた胸がチリチリと痛む。
「…なんでもあらへんよ。それより、はよ戻ったほうがええんちゃう?」
視線をそらしてそう言うのがやっとだった。
「アホか、こんなお前置いて行けるわけないやろ!あいつらには後でメールいれとくわ。…ほんまに熱あるとか、しんどいとかないん?」
 謙也はまるで自分のことのように眉を下げ真剣な顔で覗き込んでくる。いくら雨の中練習したといっても健康には人一倍気を使っている俺だ、自分がどこまでいけば体調を崩すかというラインくらい把握している。本当ならここで、どこもつらくない、大丈夫だから気にせず戻ってくれと言うはずだったのに、一瞬の逡巡の後口から出た言葉は、心の奥の奥のそのまた奥にあった期待や希望的観測を無視しきれなかった結果だった。
「……ちょっとだけ」
親友として気遣ってくれる謙也の気持ちにつけ込む俺のなんと浅ましいことか。


 それなりの体格をした男ふたり分の体重を受け止めて、プラスチック素材の、今の天気とは正反対の鮮やかな空色のベンチ椅子がギッと軋む。少し動けば肩と肩がふれあう距離だった。
「にしても、ほんまよう降るなぁ」
「…せやな」
雨足は先程よりマシになってはいたが、それでもふたりきりの部室に響く秒針の音を掻き消す程度には降り続けている。
「大丈夫か?しんどかったら肩もたれてええで」
「おおきに。…じゃあ、ちょっとだけ」
今もさっきも、ちょっとだけ、ちょっとだけ。そうして自分に言い訳をして、俺はどれだけ謙也のことを好きになるのだろう。
「……ごめん。ごめんな、謙也」
「何言うてんねん、困ったときはお互い様っちゅー話や」
気にすんなと優しく笑う声が聞こえる。違う。違うねん謙也。ごめん、ごめんな。
 頭を乗せた肩は雨で少しだけ湿っていた。まるで俺がそうするためにつくられたように、ちょうど首を傾げれば頭が乗る高さにある肩。
(…ほんまに、そうならよかった)
俺の、俺だけのための彼ならよかった。もし自分が女の子なら、謙也の彼女だったなら、ここで優しく髪の毛を梳かしてもらえたのだろうか。預けた右頬で少し高めの謙也の体温を感じて、埋まらない左側の空間には悲しみと虚しさが溢れていた。
「…なんや、だいぶ参っとるみたいやなぁ」
「…ん。そう、みたいやな」
無理やり貼り付けた笑顔は誰にも見えない。
「白石もモテんねんから、ええ加減彼女つくればいいのに」
そしたらこないなるまで頑張らんでも、もっと甘えられるんちゃう?と謙也は言った。とても、優しい声だった。
「…お前が俺に、それを言うんや」
「え?」
「いや、なんも」
 そして訪れた一瞬の沈黙の後、謙也の手が俺の髪に触れた。それはたった数秒で、子供をあやすようなおぼつかない手つきだったけれど、心臓がつぶれそうに痛む。生き損なって死に損なった恋の根が声をあげ叫ぶ。雨はまだ、やまない。

(20110603)