前線悪童タイフーン




 立春なんて言ってもまだまだ寒いじゃないかと悪態をつきながら背中を丸めて歩いた冬が人知れず終わりを告げ、季節はいつの間にか本当の春へと移り変わっていた。出会い、別れ、泣き、笑い。様々な人の思いが最も多く交錯するだろうこの季節の一番の見どころと言えばそう、桜である。ということで、今までの溜まりにたまったサボりのツケを消化するべく救済処置という名の補習に卒業ギリギリまで学校に足を運んでいた俺だったが、なんとか怒涛の春休みと高校の入学式を終え一息ついたある日の夕方。ようやく出来た自分の時間に、散歩がてら花見をしようと少しだけ足を延ばしていた。
 大阪でも有名な桜の名所、そこは大きな川の両岸にソメイヨシノが立ち並び、春になると毎年ここで桜を拝むのが大阪の風物詩だ…というのは謙也の言い分だが、なにせ俺はまだ大阪二年目のいわば初心者だ。散歩こそ趣味でよくふらふらあたりを散策しているが、それで開拓できる場所なんてたかが知れている。去年の四月は越してきたばかりで、この土地について教えてくれる友人もいなければ花見などしている余裕もなかった。だからこうしてわざわざ大阪の桜を見るのは初めてなわけだが、件の川に到着するやいなや、俺は謙也の言葉に一も二も無く大きく納得することになる。
「はぁ〜…これは、予想以上にすごかねぇ…」
 川を挟んでかかる二つの橋。そのそれぞれの両端に、川の流れに沿うようにびっしりと植えられた桜の木が、空を覆わんばかりの勢いで咲き誇っている。その桜に負けないくらいの勢いで立ち並ぶ屋台の中を歩けば、自分もたちまちお祭り騒ぎの渦中の人間だ。日が暮れるにつれて、重なり合う花弁と枝の隙間から注ぐ提灯の明かりがなんとも粋で思わず頬がほころばせたその時。漫画だったらピコーンと音が出たであろう、いいアイデアを思いついた。
「これは写メ撮らんね!」
どこにしまったか定かでない携帯を探して服のポケットを漁る。誰だってこんな綺麗な桜の写真を見ればきっと喜ぶだろうし、更に『携帯を携帯しろ!』と散々注意される自分の名誉挽回も出来てまさに一石二鳥だ。
「ん…ん?おお!よし、よし」
チロリーンと間抜けな音を出してシャッターを切り、自分の手の大きさに合っていない気もする機械の小さなボタンをどうにかちまちまいじくって写真を保存する。あとはこれを誰に送るかだが、まずメモリ自体ろくに入っていない携帯だ。テニス部メンバーなら、金色と一氏はふたりですでに花見に行ってそうだし、財前はめんどくさがって返事をくれるかどうかも危うい気がする。石田は携帯を持っていないし、金ちゃんに至っては他人事ではないが、写真データが開けるかどうかも定かじゃない。となれば残るはここを教えてくれた謙也か白石であるがしばらくの逡巡の末、ここは携帯を不携帯なことでよく怒られる俺の名誉の為に部長様に送ることにした。謙也には直接お礼を言って、後日また画像を送ろう。現在地を書いたメールに写真を添付して送信ボタンを押す。デフォルメされたウサギが両手で手紙を抱え、ちょこちょこと走っていく送信画面(プリセットされていたものがあまりに味気なかったので、財前に頼んで変えてもらったものだ)をほっこりとした気分で眺めていると、背後からドドドドと凄まじい音が近づいてくる。ほぼ地鳴りに近いそれに思わず振り返った瞬間、視界は奪われ身体は大きく後ろにのけ反った。(どうにか踏みとどまって倒れずに済んだのは、ひとえにトレーニングとして愛用している片足六キロの下駄のおかげである)そしていきなり視界を奪い身体を重くする、といった不可思議な現象を可能とする人物は、俺の知る限り二人しかいない。一人は神の子と呼ばれる立海大の幸村精市であるが、今はテニスの試合中でもなければここは東京でもないのでその線はない。となれば、残るはあと一人。
「…もう、いきなり飛びついたら危なかよ」
金ちゃん、と脇を掴んで地面に下ろしてやれば、大阪きってのゴンタクレは白い歯を見せて笑った。
「だってなー!ワイらあっちから来てんけど、ちょっと先にめちゃめちゃデカイやつおるんやもん!一目で千歳ってわかったわー!!」
あっち、と俺が歩いてきた方向を指しながら忙しなく言葉を発する金ちゃんは、ちとせ、久しぶり!!と行き交う人々が皆振り向くほどの声をあげ抱きついた。
「俺だけならかまわんばってん、ここは人がぎょうさんおるけん、あんま危ないことはやめなっせ…にしても、ほんなこつ久しぶりっちゃねえ」
 久しぶりとは言っても、時間にすると卒業してからたかだか三週間足らずだ。それでも本当に久しく感じるのは、当時毎日受け止めていた金ちゃんの有り余るエネルギーが生活からぽっかりなくなってしまったからだろうか。
「会えてうれしかよ、金ちゃん」
腹に押し付けられた、その性格同様ぴょこぴょこといろんな方向へ跳ねている髪の毛を撫でると、ワイも!!とまた大きな声で叫んだ金ちゃんがぎゅうぎゅうときつく抱きついてくる。その様は小動物のようでたいそう可愛らしいのだが、実際の力は猛獣類、締め付けだけなら乗用車一台分の重さと言われるアナコンダにも負けない気もする。そんな訳で、バキバキと不穏な音を立て軋み始めた我が背骨の為に俺は早々に手を上げた。
「…あれ?そういえば金ちゃん、さっき『ワイら』って言っとったと?」
「おん!!ワイ、今日はせったいやねん!」
逞しすぎる細腕から解放してもらい小さな身体を下から掬って抱き上げると、その向こうに思いがけない顔があった。
「…ども」
満足げに接待と言い切った金ちゃんの向こうに現れたもうひとつの小さな身体の持ち主は、頷きと会釈の狭間くらいの曖昧さで小さく頭を下げた。

「コシマエー!はよう、はようー!!」
「ああもう、金ちゃん!ちゃんと前見て歩きなっせー」
「オレ、あそこのベビーカステラ食いたいっス」
 そんなこんなで、花見途中に偶然出くわした金ちゃんと、アメリカ帰りのコシマエこと越前リョーマと三人で縁日を歩くことになった俺なのだが、ふたりの危なげな行動にことごとくハラハラさせられっぱなしだった。
周りは屋台と溢れんばかりの人で賑わっているのはもちろん、すでにどっぷり日も暮れて、酒の入った大人たちがそこらじゅうでへべれけしているのだ。そんな中で金ちゃんが酔っぱらった大人にぶつかって喧嘩でも始めた日には目も当てられない。そうなったら俺はどうやって相手を助けようかとそればかりを考えていた。今日はそんな、両手で抱えても手に余る金ちゃんだけでなく東京からのお客様、越前もいるのだ。こちらは金ちゃんとは対照的に比較的大人しく冷静なのかと思ったのだが、やはりそこはテニスと同様一筋縄ではいかないらしい。元来探究心が旺盛なのだろう(いや、それはとてもいいことだ)、はし巻きなど関西ならではの出店に興味津々らしく、金ちゃんにばかり気を取られていると気付けば越前がフラリといなくなっていて肝を冷やした。またその逆も然りだ。例えるならまるであちこちを縦横無尽に飛び跳ねるスーパーボールと持ち手のない風船。そんなふたつのお祭りアイテムを相手にした気持ちを端的に言えばまさに、"猫の手も借りたい"。ついでに貸してくれるなら目も借りたいといった慌ただしさだ。普段は何かと面倒を見られることが多かったので、世話をする側がこんなに大変だとは思わなかった。そして部長として皆をまとめていた白石のすごさを実感し、今までかけた迷惑を、心の中でちょっぴり詫びた。
「…よかったんスか?」
「んん?」
 ひとしきり興味のあるところは見終えたのか、縁日の折り返し地点を過ぎて少ししたところで、大人しく横を歩いていた越前が口を開いた。
「…今更だけど、いっぱい買ってもらっちゃったから」
どうやら自分は金ちゃんと違って大した知りあいでもないのに、と言いたいらしい。本当に、生意気なのか健気なのか。
 正直に言うと、仕送り直後でそれなりに潤っていた財布の中身はもうほとんど成長期ふたり(主に金ちゃんであるが)の胃袋の中だ。けれどこの、傍らにあるあまのじゃくな表情と、はるか前方にある弾けるような笑顔が見れたならまぁいいか、と思ってしまっているのも事実だった。
「コシマエは優しかねえ。そげなん気にせんでよかよ、金ちゃんがいつも世話になっとるけん。…ばってん、今回も実は結構無理矢理やったんじゃなかと?」
金ちゃんは口を開けばコシマエに会いたいコシマエと遊びたいだけん、すまんちねと謝れば、はるか下にあるつむじがふいっとあさっての方向を向いた。
「……別に。俺も、来たくなかったわけじゃないから」
その口ぶりに、思わず一瞬足を止めてしまう。
「…何?」
「いやぁー…コシマエ、たいぎゃむぞらしか思っち…」
「はぁ?」
猫のようにまるい目で、鹿なんていないじゃんと辺りを見回すその様は、普段のギャップに加えて実年齢より幼く見えた。
「っは、ははっ!そういえば、初めて金ちゃんに言った時もおんなじこつ言っとったばい!むぞかぁ、ほんなこつむぞらしかねぇコシマエ!」
「わっ!ちょ、やめてよ!」
やはりこのふたりは似たもの同士だ。あまりにかわいらしいその様に、金ちゃんにするようにわしゃわしゃと頭を掻き撫でていると、嫌だと口で言っても力では抵抗しきれなかった越前が逃げるように駆け出した。
「あっコラ!待たんね!」
「絶対ヤだ!!」
そこで更に、少し先にいる金ちゃんが走って来る越前を見つけ目を輝かせたのは言うまでもない。
「千歳とコシマエ鬼ごっこか?!ワイもやるー!!」
こうして、鬼ごっことは名ばかりの、超持久体力マラソン大会が何の前触れもなく決行されることとなった。


「なあなあコシマエー!たこ焼きちょっとちょーだい!」
「ヤだ。っていうか、さっき食べてたじゃん」
「コシマエー、意地悪はいけんよいじわるはー…」
注意を促す声も息絶え絶えだ。無理もない、かれこれ一時間ほどこの近辺を走り回り、転んで茂みに突っ込み、何故か全力でジャングルジムに登り、ようやくふたりを捕まえた頃にはもともとボロい服のあちこちが更に擦り切れていた。
「ちぇっ。じゃあそれとひとくちずつ、交換ね」
 越前と金ちゃんがたこ焼きと綿菓子を食べさせ合うのと、東西のスーパールーキーをそれぞれ小脇に抱えた俺を、送った写メを見て花見に来た白石が見つけるのは、もう数秒後の話だ。

(20110417)