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陶芸家千歳、チンピラ仁王くんのパラレルです
体にかすかな痛みを感じ、うっすら瞼を開けると一番に飛び込んできたのは、真上から顔を覗き込む少女のドアップだった。
「……んん…?」
「あ!気が付いたとや!?」
どんぐりのようにまるい目をしばたかせた少女は、俺が目を開けるや否やぱあっと顔を明るくして「お兄ちゃん白髪の兄ちゃんが目を覚ました!」とバタバタと部屋を出ていく。白髪の兄ちゃんというのは俺のことだろうが(こういった呼ばれ方は大変不本意だが)、お兄ちゃん?と首をかしげると同時に、ここはどこで、一体なぜ俺はこんなところにいるのだという様々な疑問が頭をかけめぐる。
とりあえず状況を把握しようと布団から体を起こし、やけに年季の入った土間のような室内を見回していると、入り口に一人の大男が姿を現した。
「あ、目ぇ覚めたとね。体の具合はどげん?もう少しして気が付かんなら救急車呼ぼうち思っとったばってん、よかったとや!」
扉のないこの部屋はどうやらどこかとひとつながりになっているらしく、男は入り口の段差に腰を掛けて朗らかに笑った。
「どげん、って…」
確かにそう言われてみれば、着ていた服は脱がされたのか大きめのスウェットに変わっていて、体のいたるところに絆創膏やガーゼが張られている。関節も少しだけ軋んでいるようで、目覚めの時に感じた痛みはこれだったのかと気付く。
「おまんが助けてくれたんか」
「いや、着替えと手当したんは俺ばってん、倒れちょるあんたを見つけたんは妹のミユキばい。あ、さっきまでここにいた女の子のこつね」
男の話を聞くに、こいつはここで陶芸をして生計を立てているらしい。更に昨日学校帰りの妹が工房までの近道であるけもの道を歩いていたところ、しげみから人の足がのぞいていて、恐る恐る確認してみるとそこに俺が倒れていたそうだ。
「ミユキがあんたをひきずって帰ってきた時はほんなこつびっくりしたばい!ばってん、気が付いてよかったとね。顔色も良さそうやけん、腹減っとるんやなかと?今なんか軽く腹に入れられるもん持ってくるばい」
「っえ、おい!」
にこにこと笑った男は、俺の制止する声も聞かず腰を上げてどこかへ消えた。どうやら悪い奴ではなさそうだが、少々人の話を聞かないふしがあるようだ。
「……さて、どうするかのう…」
一人になった土間で、男が持ってきた干し柿をもしゃもしゃと咀嚼しながらぽつりとひとり言が溢れた。男は俺に干し柿のパックを渡すと、仕事があるから何か困ったことがあれば呼べとまたすぐにどこかへ消えてしまった。普段甘いものは好んで食べるほうではないが、思考力が低下している時の糖分はありがたい。しばらくはまるで子供の頃に戻った気分で懐かしい味に浸っていたが、いつまでもそうしてはいられない。とりあえずあいつを探さねばと土間から腰を上げ裸足で部屋を出ると、そこはすぐに工房へとつながっていた。
すべてあの男が作ったのだろうか、部屋を囲むように設置された棚にはいくつも茶碗や湯飲みのような器が立ち並び、またこちらも全体的に年季の入った壁にはところどころ粘土か土のようなものが付着している。男はその真ん中で、大きな背中を丸めて轆轤(ろくろ)をまわしていた。
「あれ、どげんしたと?」
作業を止めて何かあったのかと問う声に首を振る。
「いや、邪魔してすまん。…なんちゅうか、見事なもんじゃの」
これ全部お前さんが?と聞けば男は頷いた。
「ほう、陶芸家とは言っとったが、なかなか見事なもんじゃな」
「ばってん、まだまだミユキと二人食っていくんに精一杯ばい」
そう苦笑して肩をすくめた男は、茶でも入れようかとエプロンで手を拭いて立ち上がる。
「いや、別に気ぃ使わんでええよ。それより早く作らないかんのちがうん?」
「こっちの作業もちょうどひと段落したところやけん、いっちょん構わんとよ。俺も休憩にすっばい」
当たり前のように「麦茶でよかよね?」と尋ねる声に、俺はまた頷くしかなかった。
男は作業用の丸椅子に、俺は用意してもらった折り畳み型の椅子(アウトドア用のものだろうか?)に腰をかけて、差し出された茶に口をつける。
「お前、ずっとここにおるんか?」
「まぁ、仕事だけんね」
「ふぅん…」
見回した工房はどこもかしこも作品で溢れていた。作業机に飾られている少しいびつなペン立ては、妹が作ったものだろうか?
「…そういや、あの妹はどこ行ったんじゃ?」
さっきまではいたはずなのに、とんと姿を見せなくなったことに疑問を抱く。
「ああ、友達と遊びに行ったとよ。白髪の兄ちゃんのことだいぶ気にしちょったばってん、前から約束しとったごたる」
だから帰ってきたら構ってやってほしい、と兄の顔で笑う姿に、ちくりと胸が痛んだ。
「いや…もう散々迷惑かけよったけんの。妹が帰ってきたら礼だけ言って、俺はもう行くぜよ」
「え、どっか行くところばあっと?」
「…まあ、それなりにの」
嘘をついた。本当は行くところなどないが、しかしとどまれる場所もないのだ。何かしらの下心を持って人を助けるようなやつならいくらでも利用してやってよかったが、今さっきのこいつの表情を見て気が変わった。こんな僻地でささやかに、平凡ながらも幸せな生活を送っている兄妹に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「だから、」
「嘘はいけんとよ」
多少食い気味に俺の言葉を遮った声は、その力強さとは裏腹に、どこまでも穏やかなものだった。思わずぱちりとまばたきをすれば、男は自分の頬をつんつんとつつき悪戯っ子のように笑う。
「行くアテがあるような顔しちょらんったい」
名誉のために言わせてもらうと、引き止めてもらいたいがために思いつめた顔をしていたというわけでは決してない。むしろ数年来の友人にすら、今まで自分の機微を見抜かれたことなどなかったのだ。それをまさか出会ってわずか数時間足らずの赤の他人に言い当てられるなど、考えられないことだった。
「…仮にそうじゃったとしても、それが何じゃ。おまんには関係なかろ」
行き倒れたところを助けてもらい、更には傷の手当までしてくれた恩人にひどい言い草だとは思ったが、それ以外に言いようがなかった。所詮は他人だ。そして他人は、例えどこまでいっても他人にしかなりえないのだということを俺は知っている。
「…世話になったの。俺の服とかどこにあるんじゃ?」
とりあえず妹が帰ってくるまでに出立の身支度を整えようと腰をあげれば、男は茶をすすりこともなげに言い放った。
「ミユキが持っていったとよ」
「はぁっ!?」
あまりにも予期しない返答に素っ頓狂な声が漏れる。
「どういうことじゃ!?」
「泥とかいっぱいついて汚れとったけん、川で洗ってくるち言うとった」
「な、なんじゃそれ…!」
もうすでに時刻は夕方に差しかかっていた。俺の目が覚めて友達と遊びに行ったのだから、帰りはまだ少し遅くなるだろう。そして濡れた俺の服を持ち帰ってきて夜に外で干したとしても、湿度ばかり高くて風のないこの時期だ、乾くのは早くて明日の正午かそれ以降に違いない。(ドライヤーなんて文明の利器がこの家にあるとは到底思えない)
「ど、どうしろっちゅうんじゃ…」
まさかこんなバカでかいサイズのスウェットで街を歩く訳にもいかないし、なにしろこれはこいつの服だ。予想外の足止めに途方にくれる俺に、男はまたのほほんと笑う。
「今日は泊まっていけばよかよ」
「はぁ!?」
「別に今日だけち言わんと、行く場所のなかなら好きなだけおればよかよ」
飯もみんなで食ったほうがうまいけん、と見当違いなことを言うこいつに俺は呆気に取られるしかなかった。
「……お前、何考えとるんじゃ?」
「? 別に、何も考えとらんとよ?」
確かにこんな見知らぬ行き倒れの、ましてや俺のような風貌の男を幼い妹もいる家に泊めようなんていうのは、まさに考えなしの行為としか言いようがない。
「それより今日はミユキが白髪の兄ちゃんに精つけてほしいっち言うとったけん、晩飯は肉料理とよ!」
久々に腕ふるうけんみんなで一緒に食うばい!と快活に笑う声と共に、タイミングがいいのか悪いのか、俺の腹がきゅるる〜と間抜けな音を立てた。
「〜〜っ!!ああもう、今日だけじゃぞ!!」
「はは、体は素直ばいね〜!」
とらえ方によればなんとも卑猥なフレーズを明るく口にし破顔する。
「それより、その白髪の兄ちゃんって呼び方やめんしゃい。…俺は、仁王雅治じゃ」
一瞬のためらいの後に本名を口にすれば、男は一度「におう、まさはる」と確かめるように呟いて、いい名前やね、と白い歯を見せた。
「俺は千歳。千年の千と歳月の歳で千歳、名前は千里ばい」
俺は正直千歳という名前のほうが厳かで神秘的で遥かにいい名前だと思ったし、そして口には出さなかったが、まさにこいつの雰囲気通りだとも思った。
「よろしく、仁王」
「…おん」
笑顔ですっと差し出された手をそのまま握るのも癪だったので、思いっきり握力を込めて握り返したのに、そのにこやかな表情はクエスチョンマークを浮かべながらも崩れることはなく、俺は臍を噛んだ。
行くあても身よりもない行き倒れと、そんな俺を拾ったひとりの陶芸家。今思えば、のちに俺の人生を大きく変えることになる出会いは、こうして始まったのだった。
(20110630)