「あ、これなんか似合うんちゃう?」
「うーん…裕太にはもう少し明るい色のほうが似合うんじゃないかなぁ?」
「でも裕太くんやって、ちょっと大人っぽく見えたほうがええやろ?」
 どっちがいい?と言わんばかりに向けられる、嬉々としたふたつの視線に一歩たじろぐ。家族連れやカップルで賑わう休日のショッピングモール、なぜこんなことになったのかを説明しようと思えば話は数時間前に遡る。


 俺はその日、連休を使って久しぶりに実家に帰省していた。一日めは家で姉貴の焼いたパイを食べたり、溜まっていた録画番組を消化したりしてまったり過ごしていたわけだが、事件が起きたのは二日目の朝である。
起床して一階のリビングに朝食をとりに向かうと、玄関の方から兄の声と、それに応えるなにやら聞き慣れない声がする。こんな時間から客人だろうかと思い玄関を覗くと、そこには予想外の人物がいた。
大きなボストンバッグを玄関に置き、早朝の気だるさなど微塵も感じさせない爽やかさで微笑んでいるのは、四天宝寺中テニス部部長でありこの間の全国大会で兄を下した、白石蔵ノ介その人だったのだ。
「し、白石さん!?!」
「ん?おおーっ!キミが裕太クンか!こうして会うんは初めてやなぁ」
確かに自分は兄との試合時にその顔を見ているが、あちらからするとこちらを見るのは初めてのはずだ。初めまして、とにこやかに差し出された手を慌てて握る。整った顔つきだけでなく性格も気さくで、なるほどこれは女子が放っておかないだろうなとは思う。だがしかし今の俺にとって、重要なのはそこではない。
「えっ、あの…何で、白石さんがうちに…?」
その問いに答えたのは、今まで俺たちのやりとりを笑って見ていた兄だった。
「僕が呼んだんだよ。ちょうど連休だし、うちに泊まりに来ない?って」
そういえばこの間メールで、青学が関西へ招かれ四天宝寺に世話になったとか言っていた気がする。もちろん、俺としても兄の客人を歓迎しないわけにはいかない。それは確かにそうなのだが、ここでポロッと本音を漏らしてしまったのが運のツキだった。
「え、兄貴、今日は俺の買い物に付き合うって…」
ここまで口にして思わず口をふさぐ。白石さんはもちろん、あの兄までもが少し目を見開いた。
「あ、や、やっぱりいいよ!!別に急ぎじゃないし、学校始まったらまた先輩に付き合ってもらうからさ!!」
いくら自分が普段寮生活をしているからと言って、流石に関西からわざわざ来てくれた客人より優先してくれとは言えない。それに兄弟ならいつでも会えるのだ、今日はせっかくだから二人で出かけてきてくれと言えば兄は哀しそうに眉を下げた。
「でも裕太、先に約束してたのに……白石」
最後に白石さんへ顔を向けた兄は、下手したら東京に来たばかりの彼をこの家にひとり残して俺と出かけると言い出しかねない顔をしている。
「い、いや、全然いいって!!本当気にしないでいいからさ!!」
「でも…」
兄弟で押し問答を繰り返していると、未だ玄関先に立たされたままの客人が、何か思いついたようにポンと手を叩いた。
「ほんなら、三人で遊びに行かへん?」

 それからは早かった。ひとまず兄の部屋に白石さんの荷物を運び、共に朝食をとりながら母に挨拶をすませ、昼前には家を出発し三人で電車に揺られていた。とりあえず自宅から数駅の、映画館などが併設された大きなショッピングモールに向かい、そこで俺は当初の目的である買い物を果たすべく兄と白石さんの二人に服を見立てられ(もとい着せ替え人形にされ)、冒頭に至るという訳だ。
「裕太くんはどっちがええ?」
「僕が選んだほうがいいよねぇ?」
どちらもにこやかな笑顔であるのに、なぜか片方から微妙なプレッシャーを感じる。しかし普段は学校の先輩や兄以外と買い物に行く機会はないので、全くの第三者に選んでもらうことはもちろん、関西と関東の流行の違いもあるだろう。白石さんの服のチョイスはどこか新鮮に感じた。
「あ、兄貴のもいいんだけどさ…せっかくだし、白石さんが選んでくれた方にしようかな」
「おおー!裕太クンめっちゃええ子やなあ!!ええなあ、俺んち女兄弟やからめっちゃ羨ましいわあ〜」
「ふふ、やだなあ。裕太はあげないよ?」
もう何回試着室と売り場を往復しただろうか、俺としてはいい加減店員と周りの好奇の目線に耐え切れず、早く買い物を終わらせて店を出たいというのが本音だったのだが、どうやらこの人達にはそんな考えも通じないらしい。どちらも徐々にヒートアップし次はこれをと次々に洋服を手渡してくるので、俺は流石に頭痛がしてくるのだった。

「はあ〜、ええ買い物したなぁー」
「そうだね」
 大量、とまではいかないが、両手に袋をぶらさげるくらいの量を購入し店を後にする。自分たちの買い物もそこそこに俺の洋服ばかり調達して、ふたりはなぜかほくほくとした表情でご満悦気味に笑っていた。それに対し若干訝しげな視線を向けていると何を勘違いしたのか、にこりと微笑んだ兄がとんでもないことを口にする。
「あ、そうだ。ねぇ裕太、家に帰ったらファッションショーして見せてよ」
「はぁ!?」
「おっ、ええやんええやん!」
ここで普段なら嫌だよふざけんなよ!と言ってやるところなのだが、隣を歩いているのはなぜか兄ではなかった。乗り気な白石さん相手に粗野な言葉を口にするのもはばかられ、必死に拒否してもどこか尻すぼみな言葉になる。
「ぜ、絶対やだからな…!…あの、ていうか、すいません白石さん…」
「ん?何が?」
「いや、その…荷物、持ってもらっちゃって」
そう、俺や兄貴の購入した洋服すべて、なぜか白石さんが両手に抱えて歩いていたのだ。
「や、やっぱり俺持ちますよ!悪いし!」
関西から東京までわざわざ来てくれた客人に、さらにはあの白石さんに荷物持ちをさせるなんて、とてもじゃないが恐縮すぎる。歩いているだけで人目を引く整った顔つきとスタイル、その腕に下げられている袋へ手を伸ばすが降ってきた声に制止される。
「そんなの気にしないでいいのに…」
「兄貴が言うなよ!」
まるで自分のことのように気を遣った声色だが、我が兄ながらボケているのか真剣なのかわからない。
「俺持ちますっ」
兄の言葉は無かったことにしてもう一度仕切り直すと、今度こそ白石さん本人に笑顔で首を振られる。
「ああ、そんなんほんまに気にせんでええよ!こない美人さんと男前に挟まれとるんや、お釣りが来るくらいやでぇ」
白石さんはそう言って朗らかに笑ったが、正直言って客観的に見てこの中で一番の男前は彼である。些か彼の審美眼に疑問を抱いたが、その間も兄に「せやけど不二クン、せっかくあの秋物のニット安かったんに、もう一個色チで買ってもよかったんちゃう?」なんて言ったりしているので不快な気分にはなっていないのだろう。とりあえずこの場はこれ以上粘っても逆に失礼に当たると思ったのでお言葉に甘えさせてもらうことにした。白石さんの向こうから聞こえた「裕太は男前よりかわいいんだよ」という言葉には無視を決め込んで。

「じゃあ遅くなったけど、そろそろ何か食べようか」
「せやなぁ」
 本当ならショッピングモールに到着してすぐ昼食にしてもよかったのだが、俺たちは家で軽く食べてきたしどこも昼時で混み合っているしで、どうせなら先に用事を済ませてあとから待ち時間もなくスムーズに食べようという白石さんの提案で、夕方前の遅めの昼食となった。
「ここ、すごく美味しいうどん屋さんがあるんだ。関西の人でもきっと気に入ると思うよ。僕は先に行って名前を書いて待ってるから、ふたりはそこの店でこれ買ってきてもらっていい?」
「は?」
「裕太、お店の場所はわかるよね?じゃあよろしく」
何やらメモ用紙を俺の手に握らせた兄は、笑顔で一人歩いて行ってしまう。
「は…?え?な、何なんだよ兄貴のやつ」
いつもながら突拍子のない行動に呆気に取られていると、白石さんが俺の手の中を覗き込む。
「何が書いてあるんや?えーっと、『超感覚ウエット・オーバーグリップ』?…ってなんや、グリップテープやんか」
「あ、そういえば、そろそろ新しいテープが欲しいとか言ってた気がします」
昨夜も俺の部屋に来て、なぜかこれみよがしにテープを巻き直していたっけ。
「へぇ〜、ほなここで買うて行ったろか」
ちょうどいいところにスポーツショップが、なんて言わなくとも兄のことだ。店前に俺たちを置き去りにしたのは間違いなくわざとだろう。俺と白石さんを二人きりにするその真意は全くもって読めないが、お使いくらいは頼まれてやるか。俺たちはさっそく店に入り、テニス用品のコーナーへと向かった。

「んー…裕太クンどうやー?あったー?」
「いえ…なんかこのメモ、メーカーとかきっちり書いてないからすげえわかりにくい…兄貴がいつも使ってるやつなら、すぐわかるんですけど」
ここは俺たち兄弟もよく利用する店だが店内も広く、そして兄は珍しくいつもと違うテープを指定してきたので探すのに手間取っていた。数段にわたって陳列されている棚から白石さんはしゃがんで下の段を、俺は上の段を探す。漁り始めてしばらくすると白石さんが声を上げた。
「あっ!あったかも!!」
「えっ、ほんとですか!」
「あ…ごめん、見間違いやった」
「……ま、まぁ、そんなこともありますよね…」
こんなやり取りを数回繰り返し、いい加減ここには置いていないのではないかと軽くため息を付いたところで、足元でしゃがんでいる白石さんが思い出したように言った。
「そういえば、裕太くんはどんなテニスするんや?」
「え、どんなって……えっと、そうですね。基本的にはアグレッシブ・ベースライナーなんですけど、特に左利き相手が得意、です」
最後にぼそっと、一応、と付け足した。自分のテニスに自信がないわけではないが、幾度勝負を挑んでも一度たりとも勝てなかったあの兄を下した人物に得意なテニスを語るなど恥ずかしく、言葉尻が弱くなる。しかしそんなこちらの心境など知る由もない彼は嬉しそうに声をはずませた。
「おっ、そうなんや!こら楽しみやわぁ〜。あんな、俺左利きやねん」
よかったら今度俺とも練習がてら試合したってな、と彼は笑った。
「っそ、そんなの無理ですよ!!俺なんて、足元にも及びませんって!」
「何でや?そんなん、やってみなわからんやん。そう言えば裕太クン、"左殺し"って呼ばれとるって不二クンに聞いたことあんで」
早よやりたいなぁ、楽しみやわぁ、とどうやら彼の頭の中では勝手にどんどんと話が進んでしまっている。
でもこの人は何も知らないのだ。俺がどれだけ兄貴に勝ちたかったのか、そしてその兄を下した試合、俺があの日、観客席とコートの間にある壁の存在をどれだけ肌で感じたか。壁の向こう側にいる人から手を伸ばされても、自分の力量なんて自分が一番理解している。
「……俺となんてやっても、腕ならしにもなりませんよ」
「…裕太クン?」
手にしたテープのパッケージを、ぎゅっと握りしめた。
「俺が最初青学にいたって話も、聞いてますよね?俺、いつだって兄貴の弟としか見てもらえない環境が嫌で、転校したんです。別にそれを後悔はしてないし、むしろよかったと思ってるんですけど」
同じ兄弟で、同じスポーツをする。それが時たま、とても窮屈に感じる。
「笑われるかもしれないけど、俺、兄貴からまだ1ゲームもとったことないんです」
何回やっても結局、兄貴には勝てない。自分で口にした事実が、ここまで心にのしかかるとは思わなかった。
「…でもまだまだこれから、やってみなわからんのちゃう?」
足元から聞こえた、無神経ともとれる言葉に一瞬カッと血が上る。一体今まで何度挑んで何度膝をついたか、何も知らないくせに。一言言ってやろうと視線を向けると、彼はそんな気持ちもどこかへ吹き飛ばしてしまうくらい穏やかに微笑んでいた。
「俺もな、不二クンみたいな天才型やないからかっこ悪いことも仰山あったし、今でこそ褒めてもらうこともあるけど、最初からできとったわけやないしな。…まぁ確かに、兄弟でおんなじことやっとるとつらいこともあるよなぁ。でもさっきも言うたけど、俺んち女兄弟やからさ。裕太クンと不二クンみたいに、兄弟で打ち合いとかテニスの話出来たりって、ほんまに羨ましいわ」
兄弟の話なんて、てっきりお世辞だと思っていた。耳に馴染む声で紡がれる言葉を聞きながら、俺はただ「こんな人でもこんなことを思うんだ」と目から鱗だったのだが、次第に優しい声色から低いトーンに変わる。それはひとつの団体をまとめる部長、白石蔵ノ介としての声だった。
「…それに、そない弱気なこと言うてたらあかんで」
次は裕太クンらの番なんやから。力強い声で向けられた言葉が、すとんと胸に落ちる。
「…俺、たち?」
「せや、色々あったけど、俺らはもう引退。次は裕太クンらの番や。ウチのやつらも、容赦なくいくでぇ!」
来年の全国、盛り上げてや!と白石さんは白い歯を見せて笑う。この人は綺麗事じゃなく、本当に思っているのだ。『やってみなければわからない』、それはきっと、血の滲むような努力に裏打ちされた自信なのだろう。対して俺も、突き出された拳にこつんと拳を重ねることで答えた。
「……俺だって、負けません」
「よっし!最近な、不二クン『裕太が強なった〜』って電話でもごっつ嬉しそうやねん。確か不二クン右利きやんな?左利き対策の練習台として、いつでも声かけてや」
そう兄のことを話す白石さんは、兄が彼に俺のことを話している時か、もしくはそれ以上に嬉しそうな顔をしていた。きっとこの人は兄貴のことをとても大事に思っていて、兄貴もこの人をとても大事にしているのだろう。世界には言葉よりも雄弁に伝えるものがあると、俺は初めて知ったのだった。


「ほんまや、ここのうどんごっつ美味いなぁ!」
「ふふ、でしょ。関西風なんだけど白だしじゃなくて、白醤油を使ってるんだって」
あれからどうにか兄の言っていたグリップテープを見つけた俺達は、うどん屋の店先で待っていた兄と合流して早速食事をとった。他愛も無い話をしながらそれぞれ自分が頼んだものに舌鼓を打っていると、白石さんの携帯が震え席を立つ。
「ん、ちょお電話や」
「うん、出てきなよ」
「すまんすぐ戻るわ」
その背中を見送りながら、兄は監視の目がなくなってここぞとばかりにどんぶりに七味をかける。血の海のように赤く染まっただしを美味そうに飲み干す姿は見慣れたものだ。
「ぷはぁ、美味しいなぁ。…ねぇ裕太」
「ん?」
「白石、どうだった?」
「は?どうって何がだよ」
漠然すぎる問いに疑問を抱くが俺の問いかけには答えず、ニコニコと嬉しそうにこちらの返答を待っている。
「…別に。とにかく優しくてかっこよくて、いい人だと思ったけど」
「…そう、そっか」
「おい、なんなんだよ?」
「ううん別に…うん。そうか、うん、ありがとう」
「おいなんだよ、一人で納得すんなよな」
「あはは。たぶん白石も、裕太のこと気に入ったんじゃないかな」
 その笑顔を見てはじめて、今日一日の不可思議な行動の謎が解けた。伊達に兄弟をしているわけじゃない、これでも兄の笑顔の些細な機微を見分けるのには自信があるのだ。
 全く本当に、我が兄ながら行動が予測できず、そして意地が悪い。
「なぁ、兄貴」
「ん?」
「…いや、なんでもない」
「ふふ、なんだよ裕太こそ。気になるじゃない」
「お互い様だろ」
根掘り葉掘り問いただす、なんて野暮な真似はやめておこう。ただ天才と呼ばれどこか浮世離れした兄でも、そういうことはあるのだということだ。
「あはは。じゃあ白石が帰ってきたら、そろそろ行こうか。まだお腹空いてるだろ?母さん、今日は裕太の好きなロールキャベツだって言ってたよ」
 小さい頃みたいに繋いで帰る?と差し出された手をぐいっと押し返す。「つれないなぁ」と笑う顔にため息をつきながらも頭に浮かぶのは、食べ盛りの俺たちのためにおふくろが作る大きめのどっしりとしたロールキャベツ。そしてそれをテーブルで囲む俺たち家族と、長い付き合いになるかもしれない客人との団欒のビジョンだった。

(20110829)