もぞ、と身をよじり目を覚ましたのは正午を回った時分だった。休みに突入するとどうしても生活がダレ気味になる。ましてや一人暮らしをしていると尚のことではないか?と言われることが多いが、自慢じゃないが学校がある日頃から好きな様に生きている身だ。ゆえに休みに入ったからといって自堕落になるわけでもなく、むしろ早起きして散歩に出かけたりと自分なりにメリハリのある生活を送っているつもりだった。
大きなあくびと共に頭をバリバリと掻く。いつもならここですっぱりと起きてブランチでも作るのだが、今日だけはどうにもそんな気になれず布団の上であぐらをかいていた。とりたてて約束もない、一人で過ごすなら余計なことは考えたくないものだ。ならいっそ寝起きであたたかい内にもう一度眠ってしまうかと掛け布団を捲ったところで、玄関のチャイムが鳴った。
ここは一見アパートであるが、れっきとした中学校の寮である。つまり一人暮らしにありがちな新聞や宗教の勧誘といった類は全くない場所なのだ。
(誰やろか…)
もしかしたら寮費の徴収かもしれない。この間の徴収の日それを忘れてチームメイトたちと遊びに行ってしまい、帰宅後ポストに「日を改めて伺います」というメモが入っていたことを思い出す。面倒だが流石に二度すっぽかす訳にはいかない。寒い中動きたくないという気持ちを抑えてどうにか腰をあげ、学校関係の書類がまとめられた棚の引き出しから茶封筒を取り出した。(後輩に食べ物をねだられて小遣いがなくなっても家賃には手を付けないように、月初めに封筒を分けているのだ)
「はーい、ご苦労様さんで、す……?」
リーチがある為ドアを開けるにも靴をつっかける必要がなく、少し前のめりにドアを開ければそこにいたのは予想外の人物だった。
「……何じゃ、宅配便でも頼んどったん?」
長いマフラーをぐるぐる鼻まで巻いて、フードにファーがたっぷりついたカーキのモッズコートを纏った仁王がいた。
「は……?」
「う〜〜ッ、外さむいぜよ!」
ポケットに手を突っ込んだ仁王は肩をすくませ、呆気にとられる俺を尻目に体を玄関へ滑り込ませる。
「はー、あったかいのう」
生き返る〜、と声を弾ませ、手を使うのが億劫なのか履いているブーツを片足で踏んづけながら脱いで室内へと上がる。
「何じゃ、今起きたんか。相変わらず腐った生活しとんのう」
この寮は六畳一間だ。仁王は部屋に敷きっぱなしの布団を足でちょいちょいと除け、空いた空間に大きなボストンバッグが置いた。チャックを開けて次々に何かを取り出し、早速荷解きをしているようだった。
「ちょ…ちょっと待たんね!どういうこつばい!?」
すっかり頭は覚めたが、どうにも状況が読み込めない。嫌な予感がする。俺の声に仁王は座り込んだまま、こちらをきっと見上げて言った。
「……嫌じゃ、絶対帰らんからな!」
やっぱりだ。まさかとは思ったが本当にその通りだったらしく、いよいよ頭痛がしてきた。俺も仁王と目線を合わせ、肩を掴んで説得する。
「だめばい!今頃皆心配しとっとよ!」
「俺んち放任じゃもん!」
「そもそも大阪に来るっち家族は知っとうと!?」
「ちゃんと置き手紙してきたぜよ!」
「置きっ……」
ようは言い逃げではないか。
「そげなんいかんと!思っとうこつあるなら、きちんと目ば見て言わんと伝わらんばい!」
「はぁっ!?ちょ、千歳お前何言って」
「家出なんちよくなかよ!!」
水を打ったように静まりかえる、というのはまさに今の状況のことだろう。
訪れた沈黙に一瞬「あれ?」と首を捻りたくなるが、間違ったことは言っていない、はずだ。こういう時とりあえず目を逸らしてはいけないだろうという持論に基づきジッと仁王を見つめていると、その瞳が一気に気の抜けた物になる。
「……お前、何勘違いしとるん」
「え?」
「今日何月何日よ」
「12月31日」
「っちゅうことは?」
「大晦日……?」
「これ読める?」
「『千歳誕生日』」
見せられた携帯のカレンダー画面。あ、と間抜けな声が出た。苦笑した仁王が呆れたようにため息をつく。
「ったくお前は…ヒヤヒヤして損したぜよ」
頭を掻く姿を見て、数日前のやりとりを思い出す。
夜電話をしていた時に仁王がふと『年越しは大阪でしようかな』と言ったのだ。ちょうど俺は帰省の新幹線のチケットをとり逃していた後だったので、せっかく家族が近くにいるなら一緒に過ごしたほうがいいと少しきつめに諭したのだった。
「どうせお前のことじゃき、学校の奴らにも何も言っとらんのじゃろ」
図星だった。言えばチームメイトたちはきっと総出で俺の誕生日を祝ってくれただろうが、年末でただでさえ忙しいこの時期に余計な気を回させたくなかった。誰かに気を遣わせるくらいなら、一人で気ままに過ごしたほうがいいと思った。
敷きっぱなしの布団を見て仁王は「来てよかったわ」と微笑む。
「……で、結局ここにおってええの?」
「……雅治んちには、あとで俺から電話いれっばい」
降参の意を込めて大きなため息をつき、冷えてしまった体をいたずらな笑顔ごと抱き締めた。
本当は仁王を風呂に入れてやりこのまま家でゆっくりしたかったのだが、そうもいかない。本当に一人で過ごすつもりだったので食糧がカップ麺くらいしかなかったのだ。買い出しに行かねばとしばしくっついていた体を名残惜しく離す。俺が行ってくるからゆっくりしててくれと言っても「せっかく会いに来たのに離れたら意味ないじゃろ」と言われ、二人で買い出しに行くことになった。
寮から歩いて十五分。並んで向かった大晦日のスーパーは、新年へ向けて買い逃しのある主婦層でごった返していた。入り口でカゴをとり、俺がカートを押して歩く。
「すごか人やねぇ…大丈夫と?」
「俺は全然平気ぜよ。あ、これ買ってええ?」
仁王はおすすめコーナーからパック餅を手に取る。
「ん?ああ、丸餅よかねえ。じゃあ明日は、熊本風の雑煮作っちゃるばい!」
出汁などの調味料は家にあったはずだ。三日ぶんの食糧で潤っていくカゴの中身を確認しながら、ふと疑問が浮かぶ。
「そういや、雅治はいつまでこっちいられっと?」
「んーとな、3日の夕方の新幹線とったから、三が日まではおれるよ」
「そ、そんなに!?うわぁ、嬉しかぁ〜…!!」
ということは、今日からほぼ丸々三日間いっしょにいられる計算だ。遠距離恋愛でただでさえ会える機会が少ない上に、中学生の俺達が誰にも邪魔されることなく三日も一緒にいられるなんて通常では考えられない。最高の誕生日プレゼントだ。
レジで会計を済ませ、その間に仁王がカゴの中身を台で袋詰めしていく。その後姿を見ていると妙な感覚が胸をくすぐった。
本来なら神奈川にいるはずの彼が目の前にいて、こうして一緒に買い物に来ているなんて。改めて考えると本当に不思議だ。
「おまたせ」
「ん、ええよ……って、何にやにやしとんの」
「ん?そげな顔しとっと?」
「しとる。キモっ」
「ひどかー!」
辛辣な言葉を吐く仁王に体を軽くぶつけ、二人で並んで袋詰めをする。軽口を叩き合う笑顔に比例するように、スーパーのポリ袋はどんどんと膨らんだ。
持ち手を一つずつ持って、真ん中にたっぷりとした荷物をぶらさげて帰る。ひとりだったらいつも重さはこの半分もない。
「まぁた笑っとる」
「雅治だって笑っとるばい」
鼻を赤くして顔を見合わせた。こんなに寒いのに、どうしてこんなにあたたかいのか。持ち手をぎゅっと握り直す。
まだ子供の俺にはよくわからないけれど、ふたりなら、荷物は重すぎるくらいがちょうどいい。幸せってきっと、そういうことなのだろう。
「っはー…あったまるのう」
「もらっといてほんなこつよかったばい…」
帰宅して早々仁王家へ電話をし、こないだクリスマスプレゼントとして実家から送られてきた一人暮らし用のこたつを開封した。俺自身寒さには強い方なのでもらっても場所をとるだけだと思っていたが、仁王がいるとなれば話は別だ。
スイッチを入れるとじんわり足に広がる熱に、二人でほっと息をついた。そのまま買ってきた菓子を広げ、テレビのスイッチをつける。
「何か見たいのあっと?」
「ん…ていうかもう紅白始まっとるんやないの?」
リモコンを渡すと仁王は「やっぱり東京と大阪やと結構チャンネル違うんじゃな」とおもちゃを試すようにチャンネルをまわしていく。
「おっ、やっとるやっとる…演歌じゃけど」
コブシをきかせて歌う男性を「真田に似とる」なんて言うから思わず吹き出してしまった。画面の彼は見るからに五十代以上だ。
「ジブリの歌手さんとかは出らんのかねぇ?」
「さあのう…てか今年の映画なんじゃったっけ」
他愛のない話をしながら、徐々に時間は過ぎていく。気づいた頃には23時を半分ほど回っていて、急ぎで年越しそばを作ったのだった。
「ほい」
「お、さんきゅ」
仁王に丼を渡して、自らもそばに口をつける。はふはふとすすっていると「ん」と何かが丼に乗せられた。
「あれ、海老嫌いやったと?」
一本ずつ乗せたはずの海老天が、俺の丼に二つ並んでいる。
「別に嫌いやないけど…貯金が往復の新幹線で消えてもうたからな。プレゼントしばらく待たせるきに、その利子じゃ」
仁王は寂しくなったそばを猫舌らしくふーふーとすする。
「は…?プレゼントげなもう充分ばい!」
朝から新幹線に乗りわざわざ大阪まで来てくれて、本来なら味気なく一人で過ごすはずの誕生日を祝ってくれたのだ。さらにあと三日も一緒にいられるなんて、これ以上何を望むことがあるだろう。
「アホいえ、お前からもらっといて俺が渡さんわけにいかんじゃろ」
「違、そげなん俺は…!」
同じ月にある仁王の誕生日。俺はプレゼントこそ郵送したものの、祝いの言葉は電話で済ましていたのだ。それと同列に考えるのは申し訳が立たない。
「ええから。もらえるもんはもらっときんしゃい」
少しだけ語気を強めた仁王は変わらずはふはふとそばをすすっている。
「……はあ、もう、ありえんばい…」
「なに、ちぃ泣いとんのー?」
思わず顔を覆えば、しおらしい態度をからかうように膝立ちになった仁王が両手で頭をかき混ぜた。
俺たちの関係を知っている者はみな、俺が仁王を甘やかし過ぎだと言う。しかし本当に惜しみない愛をくれているのは仁王のほうなのだ。
ぐしゃぐしゃと頭を撫でながら仁王は笑う。
「ほら、カウントダウンぜよ…うわっ!?」
テレビを見れば、新年までもう30秒を切っていた。仁王の腰を抱き寄せ、そのまま後ろへ倒れこむ。
「ぎゃーくるしい!離せ〜!」
「絶対離さんばいー!!」
体ごと包み込むようにきつく抱き締めると、仁王は腕の中で暴れる素振りを見せながら楽しそうに笑った。テレビから刻々と声が響く。15、14、13……
来年は、俺が神奈川へ行こう。来年は高校生になっているから、バイトをたくさんしてホテルをとってもいい。プレゼントだってもっともっといいものを。
そうして彼はいつだって、来年は今年よりもっと幸せにしてやろうと思わせる、泣きたくなるほどの幸せを俺に与えるのだろう。そしてそんな年をひとつずつ重ねていけたらきっと、俺たちはしわくちゃのじいさんになったって、死ぬまで笑っていられる。子供にだってわかるのだ。
「そうそう、肝心なこと言い忘れとったわ」
仁王の手が俺の頬を包む。あと五秒。5、4、3……
「誕生日おめでとう、千歳。これからもよろしくな」
どちらともなく引き寄せあうように、今年最後で、今年最初のキスをした。
(20111231)