いつか舞台花を散らして

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幸村は出てきません。





 午後の授業が始まった頃、屋上庭園へと続く扉を開けば目的の人物はそこにいた。ブンちゃんと呼べばむぐむぐとパンに顔を埋めていた丸井はふいっと顔を逸らす。けれどそんなことはもう慣れっこなので気にせず同じベンチへ腰をかけた。
「…何だよ、こっちくんなよ」
「意地悪言わんで。プリンやるきに」
 欲しくもないのにわざわざ昼の混み合った購買の列に並びようやく手に入れたそれ。差し出すと一瞬怪訝そうに眉を顰めた丸井だったが、やはり万年食いしん坊将軍だけあって食欲には逆らえないらしい。顔だけは不機嫌さを隠そうともせず、プリンに罪はないと言わんばかりにプラスチックのスプーンと一緒に奪うように受け取った。
「ブンちゃん、今日一緒帰ろ」
「いやだ」
「何で」
 俺の声とハモるようにビリっと勢いよくプリンの蓋を開けた丸井は、スプーンをざくざくと黄色の生地に突き立てながら続ける。
「逆に何で朝練から始まってクラスも一緒、部活が終わってようやく解放されてまでお前の顔見ながら帰らなきゃなんねぇんだよぃ」
「俺はブンちゃんのことが好きじゃから一緒に帰りたい」
「俺は仁王のことが嫌いだから帰りたくない」
 子供のような押し問答には終わりが見えない。それでもお互い、こんなやりとりに大した意味がないのは承知の上だ。どうせ今日も部活が終わればいつものレギュラーメンバーで、寄り道しようとする赤也を真田が怒りそれを幸村が諌めてそれぞれ思い思いのものを買い食いするのだ。変わるといったらそのメニューが夏ならアイス、冬なら肉まんになるくらいで、それ以外は慣れ親しみ過ぎたと言ってもいいくらいのいつもの帰り道が待っている。
「なんでここなん」
「あ?」
「サボるならもっと気持ちよくサボれるところにすればええんに」
 目立った雑草も無く、一目見るだけでよく手入れされているとわかる色とりどりの花や植物が顔を揺らすこの屋上庭園は間違いなくここ立海大付属中の名所のひとつであり、実際に地域の会報誌が取材に来たこともあるらしい。それでも自分にはこの鮮やかな花の大群は、咲かすも散らすも全ての実権が他者の手に委ねられた滑稽な喜劇に付き合わされているようで甚だ嫌悪の対象でしかなかった。そして一旦そう考えると、周りに漂ういわゆるフローラルな香りでさえなんだか花粉臭く思えてくるのだから不思議なものだ。行く場所がないなら俺が持ってる保健室の合鍵を貸してやろうかと言うと、丸井は無言で首を振った。
「俺はここでいい」
こちらに向けられた言葉のはずなのに、そう言った目に映っているのは泣きも笑いもせずに風のままに葉を揺らされているだけの植物。それらに何の興味もない俺に言わせたらただの草だ。
「…なぁ丸井、悪いことは言わん」
 俺にしときんしゃい、と続けた声に返事はなかった。丸井を見つめる俺。花を見つめる丸井。そしてただ、そこに咲いて在るだけの花。三つの一方通行のベクトルを捻じ曲げようとしたのは俺だった。
「っおい、仁王?」
 ベンチから立ちあがり歩きだした俺の方向を見てようやく丸井が俺の名を呼ぶ。おそらく踏むのは幼稚園の頃ささやかな願いを込めてサクランボの種を埋めた時以来であろう、花壇の土は存外に柔らかかった。これがたった数ミリの種から数十センチの完成系となるのに必要なやわさと養分かと思うと生命(この場合は植物か)の神秘をしみじみと実感する。自分で育てた訳でもないのに妙な感慨深さを覚えつつ少しだけ腰をかがめ、薄桃色や淡い水色、色とりどりの可愛らしい花の大群に手をくぐらせて指に絡みついた茎をありったけ握り、思いっきり引き抜いた。
 今この瞬間まで地中に張り巡らされていた根がブチブチと音を立てて千切れ、抗えない強大な力によって一瞬でそこから引き剥がされる様はどこか人の生き死にを連想させた。次の狙いに手を伸ばした時、強い力で肩を後ろに引かれたと思えば頬に鈍い衝撃が走る。
「何やってんだよ!!」
殴った拳を解くこともなく、ギリギリと煮えかえるような視線を向ける丸井がそこにいた。
「害虫駆除じゃ。こん花のせいで、ブンちゃんは騙されとるんじゃ」
 離しんしゃいと手を振り払い、また目についた花を手当たり次第に引きちぎっては撒き散らす。こんなものがあるから、丸井は、俺は、いつまで経っても自由になれない。
「やめろって!」
そう叫んだ丸井は、怒りよりも半ば縋るような声色で俺のシャツを掴んだ。
「こんなことすりゃ、お前だってタダじゃすまねえだろ?!何でっ!」
「あー、下手すりゃ殺されるかもしれんな。でも、どうでもええわ」
 ここにある植物全て、我が子同然にかわいがっていることを知りながらこんなことをしたのだ、確かにタダではすまないだろう。しかしクソほど忌々しいことに、アイツは俺に惚れている。いや、惚れているなんて可愛いもんじゃない。それは恐ろしいほどの執着だった。いっそのことこの庭園まるごと燃やして消しカスにして、殺してくれたほうがよっぽどマシだ。愛想を尽かして一生憎んでくれたらもっといい。
「…っ、なんで…何でお前なんだよ!何でお前なんかが!!」
 そんなこと、俺が聞きたい。というか、本人に直接聞いてくれ。相手の大事なものが邪険に扱われることが辛くて泣けるくらい好きなら。自分に向けられる好意も無碍にして、ソイツの前で一番残酷な言葉を口にしていることにも気付けないくらい好きなら。
「俺なら…こんなことしねぇのに」
なんでもするのに、と呟いた声は震えていた。それは図らずも哀れみすら覚えてしまう愚かさで、だからお前は舞台へ上がれないのだと俺は対岸で途方に暮れる。
(なぁブンちゃん。「何でもするのに」なんて、恋愛ではかませ犬のセリフもいいところぜよ)
 きっと丸井は、自分の役割に気付かない。これからも健気にその役を演じ続け、悲しいほど純粋に、呆れるほどひたすらに傷付いていくのだろう。そしてまた俺も、舞台からは降りられない。同じシーンを何度だって繰り返し、児戯にも等しいステップを踏み続けながらそれでもただひとり、ほんの少しだけ脚本を変えたいと足掻いてみるのだ。鈍色の決意を込めて見下ろした先、土で茶色くなった上履きの下から、薄汚れた花弁が覗いていた。

(20110416)