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恋愛要素はありませんが、千歳と白石が橘さんと謙也以外どうでもいい結構なろくでなしですのでご注意ください。



「お疲れさん」
「千歳」
門脇との試合を無傷で終え、休んでいる橘にスポーツドリンクを手渡す。隣に腰掛け、まだコート上で行われている試合に目を向けた。
「お前が勝つんはわかっちょったばってん、それにしても、門脇のテニスを『茶番』ち言うんはちょっとひどかねえ」
コート上での二人の温度差を思い出すと、おかしくて思わず喉が鳴った。しかし橘は笑い声にも反応することなく真っ直ぐ前を見つめていて、俺も自然とその先を追う。
人数は6人。今コート上で戦っているこのうちの半分が、間もなくこの合宿から姿を消すのだ。その中には不動峰の後輩も含まれている。橘はこれまでの戦友たちの勇姿を見届けるように、他の一切を気にかけずただただ前を見据えていた。笑みが感心じみた苦笑に変わる。相変わらず、見た目とは裏腹に律儀な男だ。
話しかけても構ってもらえないことほど退屈なことはない。俺は試合を見ながら頬杖をつき、自分との試合に現れなかった後輩の行方を案じていた。
これまで三年間ずっとペアを組んできた者、現部長と次期部長、はたまた親友同士のぶつかり合い。それぞれの思いを抱えた試合が、無情にもひとつひとつ終わりを告げる。コートには残すところあと一組となったところで、今まで黙っていた橘が口を開いた。
「……千歳」
「ん?」
「お前、全部わかっとったとやろ」
コートからは、ボールを打ち合う小気味よい音が響く。橘の真面目な顔は変わらない。軽快なラリーをBGMに、数秒続いた真顔でのにらめっこ。ひとつ苦笑して、お手上げだというように頭を掻いた。
「ん〜……やっぱバレたとね」
「やっぱり……だけんお前は俺と」
「ま、それもあったけん、金ちゃんとコシマエば組ませたらふたりとも離れ離れになってしまうけんねえ」
俺はあのルーキー達の、ゾクゾクするような可能性に賭けているのだ。彼らがどこまで高みへ昇り、またどこまで奥の扉に踏み込んでいくのか。まだ誰も到達し得ないその先を知りたくて仕方がない。最高の輝きを見出すために、ダイヤモンドはダイヤモンドで磨かなければならないのだ。
「ただコシマエを離れて悲しむ金ちゃんの顔ば見たくなか、ちいうんもあるばってんね」
「だとしてもなして……!」
「何でち……だってもしこんこつ教えたら桔平、伊武くんや神尾くんにも伝えとったやろ?」
後輩二人で済めばまだマシだ。生真面目で男気あふれた親友が、友人達が容赦無くふるい落とされていくのを知って黙って見過ごせるとは思わない。
「因果律…ち聞いたことあるとや?俺も才気の扉ば開いて初めて知ったけん、未来ち言うんはいつも、ほんなこつギリギリのバランスで保たれとるとよ」
才気煥発の絶対予告だって、その日の体調や精神状態、または天気や風向きなど、あらゆる要素を踏まえた前提で導き出されるのだ。
「全ては伝言ゲームんごた繋がっとるけんね。始まりが違えば、もちろん辿り着く場所だって変わってくるばい。本来辿るべき道から意図的に違う方へ行くっちいうんは、それが例え一ミリでもたいぎゃ勇気のいるこつたい」
橘は何も言わずこちらを見つめ、眉間に皺を寄せて俺の話を聞いている。反論の言葉が出ないのではない。頭では理解しても納得しない心に折り合いをつけるよう、自分に言い聞かせているのだ。まるで正当性のない仕打ちを受けながらも頭を下げるサラリーマンだ。そんな顔は大人になってからいくらでも出来るというのに。
橘の男らしい精悍な顔つきは好いていたが、哀しいかな、彼はすでに年不相応の落ち着きを身に着けてしまっていた。そして彼をそうならざるをえないような状況に追いやってしまった自分を思い出すから、この顔を見るのは苦手なのだ。以前より幾分か回復した右目を片手で覆った。
「……すまん、謝るばい。ばってん、もうちょいだけ待ってなっせ」
気が付けば、コートの試合は全て終了していた。随分と長いタイブレークだった。
「何ね、どういうこつばい。おい、千歳!」
背中に当たる橘の声に、ひらひらと手を振って応える。全員召集の前に用を足しておこうと建物に入ると、入り口に見慣れた顔が立っていた。
「おお、おめでとさん。見とったとよ」
流石テニスの聖書ばいね、と言えば、白石はしかめっ面を更に歪ませた。こうして眉を顰めるだけで普通の人間よりも数倍迫力出るのだから、つくづく美形は得だと思う。
「馬鹿にしとんか」
「そぎゃんわけなか!」
こういうとあれだが、俺は彼のことも高く買っているのだ。せっかくふたりとも残れたのだからなんなら今度試合でも、と開きかけた口を白石の低い声が遮った。
「お前、ほんまは全部わかっとったんちゃうんか」
ぱち、と目を見開く。次に重いため息がこぼれた。この時だけは自分の能力が少しだけ恨めしかった。
「あ〜……それ、さっきも桔平に聞かれたばい。俺かわいそう、みんなから嫌われとうね〜」
「で、何て答えてん」
悲しか、とおどけてみても、白石は先ほどから顔色ひとつ変えず腕を組んだままだ。自分が今どんな目をしているか、気付いていないのだろう。
「もちろん、知っとったち言うたとや」
口にして、今度こそ殴られるかもしれない、と思った。なにせ俺には夏の全国でも彼の親友である忍足謙也の出場枠を奪った(しかも負けた)という前科があり、更に今回はペアを組んだ者どうしが潰し合う事を知っていながら、ダブルスだと信じて疑わず手を取る二人に何も言わなかったのだ。これは殴られても仕方がない、というか、俺だったら一つ目の時点で殴っているかもしれない。改めて、心の広い人間が多い学校に転校したものだ。
「……そうか」
いつ拳が動くかと注視していたが、終ぞそれが振り上げられることはなかった。白石は組んでいた腕を解くと、皆が集まるコートへと歩き出す。
「あれ、何もしやんとー?」
半ば拍子抜けして声をかけると、振り向いた端正な横顔が答えた。
「結局、俺もお前と一緒や」
他の奴なんかみんな、どうでもええねん。その、今までチームを引っ張ってきた部長とはとても思えない発言に驚く。驚きとともに、何故か腹の底からふつふつと笑いがこみ上げてきた。『心の広い人間が多い学校』?とんだ間違いだ。
思い返せば、確かにそうだった。誰も彼もみな愛情深く、優しく、そして、大切なものしか大切ではない。それだけだ。転校当初は、ここは自分には合わない校風かもしれないと思ったものだが、今思えばここ以上に俺にふさわしい学校もないのかもしれない。なんだかひどく気分が良くて、ぴんと伸びた白石の背中に声をかけた。
「なあ、いいこと教えてやるばい!謙也とは、近々また会えっとよ!」
呼びかけに返事はなかった。しかし気にすることはない。心は小さな綿雲ひとつなく澄み渡っていた。そう、白石の言うとおり、他のことは何もかもどうでもいいのだ。大切なのはただひとつ、少なからず未来を変えるというリスクを背負ってまで守ったあいつとまた、今度はどこまで上に昇れるかということだけなのだから。

(20120411)